「クリエイティブ」
この言葉を聞いた事があるだろうか?
多分、このブログに興味を持ってくれているあなたであれば聞いた事はあると思う。
逆に、
「何ですかそれ?初めて聞きますけど、美味しいんですか?」
という人はあまりいないと思う(いたらごめんね)
ただ、この「クリエイティブ」という言葉。
聞いた事があるという人でも、意味をきちんと理解できている人はそれほど多くはないように個人的には感じている。
いや、別に理解してなくてもいいんだけど、でも、その理解不足によって、自分の可能性を自ら閉ざしてしまっている人、つまり、
自分で自分を、そして自分の人生の質を貶めてしまっている人
が少なくないように思うんだ。
これを僕は
「クリエイティブ・シンドローム(創造性症候群)」
と呼んでいる。
クリエイティブ・シンドロームという「病」
この「病気」が進行すると
「自分で自分の未来の可能性を消してしまい、人生が苦しく、つまらないものになる」
という恐ろしい結果を招いてしまう事が多い。
それはこの「クリエイティブ・シンドローム」という病が持つ「ふたつの症状」によるものだ。
これからその「ふたつの症状」について一緒に考えてみたい。
症状その1:クリエイティブな「仕事」
ある日の昼下がりの事。
クライアントさんとの面談を終えて一人でお茶を飲んでいたら、隣の席に座っている人の話が耳に入ってきた。
仮にAさんとしておこう。
どうやらAさんは、ブライダル関連の仕事をしており、現在は異業種への転職を考えているようだ。
「何て言うか、もっとクリエイティブな仕事をしたいんですよねー、例えばマスコミとか」
と彼は言っていた。
この二人のやり取りの中に、まさに「クリエイティブ・シンドローム」の症状のひとつが現れているんだ。
Aさんが罹っていた病気の「症状」
それは
「クリエイティブな仕事」と「クリエイティブでない仕事」がある。
という認識だ。
「Aという仕事はクリエイティブだ」
「Bという仕事はクリエイティブではない」
という勘違い。
そう。大きな「勘違い」だ。
そもそも「クリエイティブ」とは何なのか?
辞書を調べてみると
「それまでにはなかった新しいものを作り出していく事」
という意味のようだ。
とするならば、そもそも「仕事」というものはすべからく「クリエイティブ」なものでないだろうか?
あくまでも個人的な見地になるけれど、僕の中の「仕事」の定義とは
「お客様の問題を解決し、ほんの少しでも笑顔になってもらう」
というものだ。
であればどの仕事でもこの事は可能だと思う。
たから「クリエイティブでない仕事」というものは存在しない、というのが僕の意見だ。
もちろん、もしかしたら何かを産み出すのではなく、何かを奪うだけ、人を悲しませるだけの仕事もこの世には存在するのかもしれない。
でもそれって冷静に考えたら、仕事というより犯罪だよね。
だから僕は
「全ての仕事はクリエイティブなものである」
と考えるのです。
自分の仕事がクリエイティブなものではないと感じたら?
あなたが、もし、自分の仕事をクリエイティブなものでないと感じるなら、それは
「その仕事そのもの」
ではなく、
「その仕事を取り巻く環境や、その仕事をしている人」
に問題がある場合が多いというのが僕の意見だ。
たとえば、足を引っ張る人間がいるとか、
仕事を進めるシステムが古すぎるとか、
またそれらによって働く人の心がクリエイティブさを、つまり「この仕事で何か新たな価値を生み出そう」という気持ちを失ってしまっているとか。
「仕事そのもの」がクリエイティブでないのではなく、
「その仕事を取り巻く環境や、その仕事をしている人」
が、その仕事のクリエイティブさを失わせてしまうんだ。
だから決して、「クリエイティブでない仕事」なんてない。
敢えて言うとしたら
「クリエイティブさを失っている人や環境があるため、結果として仕事がクリエイティブでなくなる」
これが僕の意見だ。
もしあなたが、自分の仕事に対してAさんのような思いを持っているのであれば、それはあなたの視野が狭くなってしまっている可能性が高い。
でもそれはあなた自身が気づいていないだけで、すぐ隣に大いなる可能性があるかもしれないという事なんだ。
是非一度、落ち着いて考えてみてもらいたい。
あなたは間違っていない。でも・・・
もちろん、今のあなたが「間違っている」という訳ではない。
ただ、あなたの考えが「全てではない」という事なんだ。
「あなたが『正しい』と思っている事」が「この世の全て」ではない。
世界にはまだ知られてない事が、未知の可能性がたくさんある。
そう思ってみたら、まだまだやれる事ってたくさんあると思うし、それらに少しでも取り組み続けていったら必然的にクリエイティブな人生になる。
そうなったらもっともっと人生が楽しくならないだろうか?
症状その2:クリエイティブな「人」
そして「クリエイティブ・シンドローム」の症状のふたつめについて。
実は上でお伝えしたAさんの話を、とあるセミナーで話した事がある。
その時に参加者の女性から、こんな質問をいただいた。
仕事そのものではなく、仕事をする人がクリエイティブかどうか、という事なんですね。
でも私にはそんなセンスはありません。そういう人はどうすればいいのでしょうか?
この方がどういう方かは、ちゃんとお話を伺った訳ではないから分からない。
でも、この方が非常に大きな誤解をしている事だけは分かる。
彼女がしている誤解、それは・・・
それは
「クリエイティブな人とそうでない人がいる」
というもの。
「Aさんはクリエイティブだ」
「Bさんはクリエイティブではない」
という勘違い。
これも「症状その1」と同様、大きな勘違いだ。
上でもお伝えしているように「クリエイティブ」の意味が
「それまでにはなかった新しいものを作り出していく事」
なのであれば、これは、一部の人にしかできない特殊な事だろうか?
僕はそうは思わない。
全ての人がクリエイティブである理由
この事は「イノベーション」とも似ている部分があるような気がするんだけど、世界を一変させるような大きなものだけが「クリエイティブ」というものではない。
ジョージ・ルーカス(映画監督)
スティーブ・ジョブズ(Apple創業者)
リオネル・メッシ(サッカー選手)
ジャンゴ・ラインハルト(ギタリスト)
聖飢魔Ⅱ(悪魔)
・・・
彼らのような、世界的に名の知られた存在だけがクリエイティブという訳ではない。
影響の大小など関係なく、何か新たなものを産み出す事ができれば、そしてそれが誰かの問題を解決したり、誰かの笑顔に繋がる物であれば、個人的にはそれはもう立派な
「クリエイティブ」
と呼べるものだ。
なぜなら、その
「小さなクリエイティブ」
がきっかけで、次のクリエイティブが生まれ、そしてまたそれがきっかけで更なるクリエイティブが生まれ、結果として世界が変わるという事もあり得るからだ。
「風が吹けば桶屋が儲かる」や「バタフライ・エフェクト」のようなイメージだね。
あなたは独りで生きている訳ではない
少し大袈裟な話に聞こえるかもしれないけれど、我々はこの世界の中で独りで存在していない。
太陽や空気や水といった自然、他人、人間以外の生命や物質といった様々な存在との関わり、様々な存在と繋がっている事で、あなたも僕もこの世界に存在できている。
リオネル・メッシが素晴らしいプレーを、素晴らしいクリエイティブを披露できるのも、彼個人の能力や努力の賜物だけではない。
彼を助けるチームメイトがいるからだ。
彼の成長のための様々な分野のトレーナーがいるからだ。
道具やスタジアムの環境を整備する人達がいるからだ。
応援するファンがいるからだ。
他にも、たくさんの人が彼の素晴らしいプレーに関係している。
そういったたくさんの人のクリエイティブの結果、メッシは自分自身のアスリートとしての才能というクリエイティブを発揮する事ができているんだ。
あなたは今にだけ生きている訳ではない
そしてその関わりは「今」だけではない。
過去から今、そして未来にまで繋がっているものだ。
例えば、メッシがサッカーを始めたのはサッカー好きだった祖父や両親の影響があったそうだし、そして今、そのメッシに影響されて、世界中の多くの子供達が未来のサッカー選手を目指している。
また、もっと身近な例で言えば、父母や祖父母、そして祖先の存在があったからこそ、あなたや僕が今ここに存在している。
メッシもあなたも僕も、過去の誰かの影響を受け、そして未来の誰かに影響を与えている(良くも悪くもね)
「クリエイティブ」とは「●●●」だ
この
「自分ー他者ー世界」
という「空間の繋がり」
と
「過去ー現在ー未来」
という「時間の繋がり」
これら双方を意識して生きていく。
それによって、「色々な関わり合い」が生まれ、その関わり合いが「きっかけ」となって「小さなクリエイティブ」が生まれる。
その小さなクリエイティブがこれら
「空間と時間」
の中でさらに色々な関わり合いの中で繋がり合って、それがまた新たな「きっかけ」となり・・・そして偉大なクリエイティブが生まれる。
全てのものは、何かしらの出逢い、何かしらのきっかけから生まれると言っても過言ではない。
あなたも僕も、両親がであった事がきっかけでこの世界に生まれてきたのだから。
だからこそ、小さな小さなきっかけ、小さな小さなクリエティブが重要なんだ。
そしてこれは、誰にだって可能なものだ。高い能力やセンスがないとダメだ、というものではない。
なぜなら、これはもう能力やセンスじゃなく、生き方の問題だからだ。
「クリエイティブ」とは「生き方」によって決まるものなんだ。
問題意識を持っている人とそうでない人
解決するために努力する人とそうでない人
誰かの笑顔を観るのが好きな人とそうでない人
どちらがクリエイティブのレベルが高いかは言うまでもないよね。
だからこそ僕は
全ての人はクリエイティブな存在であり、本人の意識次第でその可能性は如何様にでも広げられる。
と考えている。
本人の意識次第で可能性が広がる・・・ちょっとドキドキしない?
「世界最高」のクリエイティブ
有名な話だから知ってるかもしれないけれど、Appleの大ヒット作となった「AppleII」
これは本体デザインに悩んでいた故スティーブ・ジョブズがとある百貨店の中で偶然見つけたフードプロセッサーがヒントになってデザインされたものだ。
偶然の出会いがきっかけとなり、AppleIIというクリエイティブに繋がったという事なんだ。
でも、その「偶然の出会い」は、
「素晴らしいものを世に出したい」
というジョブズの熱意、そしてその熱意から生まれた行動によってプレゼントされたものだ。
彼の「生き方」が、あのクリエイティブを生み出した。
そしてこれは、ジョブズだけの専売特許という訳ではない。
あなたにだって絶対に可能だ。その生き方を意識し、小さな事でも行動に移しさえすれば。
いいきっかけを生み出し、いいきっかけと出逢える、そんな生き方をしてみない?
可能性を閉ざすのではなく、可能性を広げるような生き方を。
誰かの問題を解決し、誰かを笑顔にする、そんな生き方を。
大丈夫。神が作り給うた「世界最高のクリエイティブ」であるあなたならば、絶対に、実現できるから。
阿部 龍太
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