「バカでもいいじゃない。
と言うより多かれ少なかれ全ての人はバカですよ。
バカこそ全てのはじまりであり、最高の存在なんですよ」
「そもそも、誰が『バカ=悪』って決めつけてるんですか?
他ならぬあなた自身じゃないですか?
自分で自分を縛り付けているだけじゃないですか?
それで人生楽しいならいいんですけど、そうでなければ変わってもいいんですよ」
ざっくり言うと、前回までの記事でこういう事を言っている訳です。
(要約すると乱暴極まりないので、時間があればきちんと読んでくださいね)
【参考記事1】
【参考記事2】
【参考記事3】
仏陀、キングカズ、ダルビッシュ…偉大な先人が教える「黄金の法則」
そもそも人間は…
何度でも言いますが、人間という生き物はそもそも「無知な存在」なんです。
もっと言ってしまえば「バカ」だという事です。
それは、仏陀も「無明」という概念で説明していますし、キリスト教で言う「原罪」にも繋がるものだと個人的には考えています。
もちろん、無知だバカだと言っていますが、別に誰かを貶めるつもりはありません。
これはもう、全ての人間が持つ「特性」と言っても過言ではないもの。
つまり、あなたも、僕も、あの人も、皆多かれ少なかれ「無知」、つまり「バカな所がある人間」のです。
「バカな所がある人間」です。そんな人間の判断だって、間違っている場合は(かなりの確率で)ある訳です。
だから「善悪」の判断だって同様です。
実際に、何かの出来事、例えばジャンクフードやアイドルグループの解散や政治や経済に対して、賛成する人も反対する人もいる。
つまり、同じ事象に対して「善」と「悪」の判断が分かれる訳です。
何が正しくて何が間違っているか、絶対的な善悪なんて、本当の所は誰にも分からない。
身も蓋もない言い方ですが、これがひとつの事実だったりします。
だからこそ、
外部情報に左右されるのではなく、
「自分にとって」何が善なのか、何が悪なのか。
「自分にとって」何が大切で、何が大切でないのか。
それを自分なりに考え、それに沿って生きていく。
これが、僕が考える「成功のための第一歩」であり、クライアントさんには常に伝えている、そしてここまで読んでくれたあなたにも伝えたい事です。
「バカを超える」ための第一歩は全て、あの人が教えてくれた。
そして、この第一歩を踏み出すために必須となる最初のステップが
1.「本来の」自分を最後まであきらめない、最後の最後まで信じる事
2.「今の」自分をあきらめる事
というものです。
このふたつの要素を、分かりやすーく説明してくれる偉大な先生がおられます。
そう。
安西先生
(漫画『SLAM DUNK』)
です。
『SLAM DUNK』ファンでも、そうでなくても知っているであろう名キャラクター。
その彼が作中で
あきらめないために、あきらめる。
という事を教えてくれています。
では早速見てみましょう。
安西先生が教えてくれる極意その1
まずひとつめのポイント
1.「本来の」自分を最後まであきらめない、最後の最後まで信じる事
これをもう少し説明しますと
「本来の」自分。
つまり可能性という新たな世界の扉が開かれている自分。
その自分の可能性は諦めない。最後の最後まで信じる。
という事になります。
これを安西先生の言葉で表すのであれば
「あきらめたらそこで試合終了だよ」
(安西先生 from『SLAM DUNK』)
名言です。
この言葉が実際に言葉をかけられた三井だけではなく、現実世界においてどれだけ多くの人の心を奮い立たせたか。
それはもう僕が言うまでもないでしょう。
これについてはもう説明は要らないと思います。
安西先生が教えてくれる、もうひとつの極意
そして、もうひとつの
2.「今の」自分をあきらめる事
これをもう少し説明するのであれば
「今の」自分。
つまり、現時点で無知で未熟である自分を認める。
「今の」自分に出来る事、出来ない事を明確にする。
という事です。
仏教で言う「諦観」のようなものです。
そもそも仏教において「あきらめる」とは「明らかにする」という意味です。
上手くいかない、だから諦める。
のではなく、
上手くいかない、という状況は一旦受け止める。
その上で、何が今の自分に不足しているのか、どうすれば一歩前に進めるのか、を明確にする。
それが本来の「あきらめる」という事です。
この言葉なんかは有名ですよね。
「生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり」
(『修証義』より抜粋)
生と死について知る事。それが仏教における重大な目的なんですよ、という事です。
この文を世間一般の「あきらめる」という意味で読んでみるともうかなりのニヒリズム溢れる文章になってしまいます(苦笑)
また、仏教とは関係ありませんが、この言葉も有名です。
神よ、恩寵を私に与えて下さい。
変えられないものを静穏に受け入れるために与えて下さい。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを、
私に与えて下さい。
(『ニーバーの祈り』より抜粋)
この「ニーバーの祈り」は、アメリカのアルコール依存症克服のための組織(アルコホーリクス・アノニマス)をはじめとする多くの依存症克服施設でも採用されています。
自分に何ができて、何ができないのか、を明らかにする。
そしてその上で、前に進んでいく。
「今の自分をあきらめる事」がどれだけ重要な事なのか、理解していただけたのではないでしょうか。
え?よく分からない?
分かりました。
ではまた、あの方に出てきていただきましょう。
「下手糞の、上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目」
(安西先生 from『SLAM DUNK』)
「今の」自分の至らなさを知り、それを受け容れる。
それによって、「本来の」自分が持つ「新たな可能性という世界」に一歩足を踏み出す事が出来る。
桜木はこの言葉からシュート2万本という荒行を成し遂げ、己の可能性をさらに広げることができました。
安西先生が我々に伝えてくれている事
三井が、桜木が、湘北というチームが、安西先生によって新たな可能性を開けたように、あなたや僕だってそれは可能です。
安西先生が伝えたかった事。
当たり前ですが、ただ単に「試合に勝つために強くなれ」と言っていただけではありませんよね。
バスケを楽しみ、自分を磨き、仲間を大切にする。
毎日の練習を大切にし、自分の良さを発揮出来るようにする。
だからこそ強くなり、試合で勝てるようになる。
彼の言動からはこんなメッセージを感じるのです。
そんな安西先生も、過去に大きな傷がありました。
教え子だった谷沢。
彼の一件に対する自責の念を持っていた訳です。
(詳しくは是非本編を読んでみてください)
安西先生も己の失敗、己の未熟さを糧にしていました。
谷沢の一件で己自身をあきらめたのではなく、その時の自分自身の未熟さを明確にし、前に進むために必要なものを考え、もがきながらも、前に進もうとした。
だからこそ、赤木をはじめとする湘北のメンバーと出逢えた、そして「谷沢を超える逸材のふたり」に巡り逢えたのではないでしょうか。
「本来の」自分を最後まであきらめない、最後の最後まで信じる。
そのために「今の」自分をあきらめる。
これを常に意識し、行動に移し続けていけば、あなたも湘北の彼らのような、素晴らしい可能性を開ける事でしょう。
応援しています。
安西先生、そして井上雄彦先生、ありがとうございます。
阿部 龍太
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