このページを見てくださったあなたへ。
はじめまして。
阿部龍太と申します。
私は今「8millions」というプロジェクトグループを運営し、その中で
他人から奪い、自分だけが笑顔になるのでもなく、
他人の目を気にして、自分をすりへらすのでもない。
自分も他人も、共に笑顔になる事が好きな人。
のサポートを行っています。
今まで
・3週間で1億円以上の販売を達成したソフトウェア企業
・セルフブランディングに成功し、TVや雑誌の出演や海外公演が実現したアーティスト
・異業種から新規事業を立ち上げ、出版を実現し、10万部越えのベストセラー作家になった経営者
・フリーターから講演家として独立し、年商2000万円を達成した起業家
・サイト修正後、1ヶ月で売上を170%アップさせたアウトドアショップ
・1ヶ月半で売上を250%アップさせた占い師
・2ヶ月で13kg(68kg→55kg)のダイエットを実現させ、新規事業も軌道に乗せられた(初年度から黒字)セラピスト
・今まで一度も勝てた事がなかった対戦相手に勝てたアスリート
・子供の問題行動が激減し、自らの仕事もキャリアップできた主婦
・10年以上続いていたアルコール依存症を改善させ、夢(独立起業)に向かって一歩を踏み出し、開始直後に黒字化できた職人
・
・
・
というような、様々な分野の方々の、様々な事のお手伝いをしてきました。
と言うと、
「アナタだからできるんでしょう?自分には無理だよ」
とか
「何だか偉そうだな、オイ」
と思われるかもしれません(笑)
でも、私は天才でも何でもありません。
むしろその辺の人よりよっぽど挫折しているし、失敗しているし、傷ついています(笑)
このページでは、私のプロフィールとして、今までの人生に何があったのか、それが今の僕にどのような影響を及ぼしているのかを書いてみようと思います。
恥ずかしい失敗や、情けない挫折も、思い切って出しています。
少し長い文章ですが、お付き合いいただけると幸いです。
そして
「あ、こんな奴でも、今を楽しく生きているのか。もしかしたら自分にもできるかも・・・」
と思っていただけたら、心から嬉しく思います。
それでは、どうぞ!
第一章:少年時代 〜生死の境を彷徨って〜
モントリオール五輪で日本代表が金メダルを獲得し、「ふえるわかめちゃん(理研ビタミン)」がこの世に生まれ、「およげ!たいやきくん」が空前のヒットとなっていた頃、静岡県にて生を受ける。
4歳の時に交通事故で死にかけ、命は取り留めるも右足が不自由になる(今は日常生活では特に問題無し)
よって自然と友達は本とノートと鉛筆となり、幼稚園〜小学校は読書と絵を描く事にのめり込む。
家はそれほど裕福でなかったものの、両親は本に関しては積極的に投資をしてくれた。
小さな頃から本の読み聞かせをしてくれたし、地域の昔話や歴史の本はお願いすれば大体与えてくれたし、休みの日はいつも図書館に連れて行ってくれた。
中でも、百科事典のセットを買ってくれた事は非常に大きかった。
地球や宇宙について、人体について、動物や植物について・・・
といった多種多様な「世界の神秘」を美しいカラー写真で知る事ができた事は、
「この世界には自分の知らない事だらけだ」
という驚きと
「それらをもっと知りたい」
という好奇心を育ててくれた。
今でもこの二つは僕の心の中に在る。
偉大な先人達は、数多くの分野で、数多くの事を教えてくれる。
世界の何を見るか、どう見るか。
その時の時代において変えるべき事、変えるための方法、そして決して変えるべきでない事は何なのか。
自然、歴史、科学、哲学、宗教・・・
数多くの先人達の生き様を表した、彼らの分身たる「本」達は当時の僕に、そして今の僕に多くの事を教えてくれている。
そしてその彼らの教えは、今を、そして未来を切り拓く「力」となる。
「知は力なり」とはよく言ったものだ。
・・・とまあ「人間万事塞翁が馬」ではないけれど、命を落としそうになった事故をきっかけに得られた経験が、今の仕事に大いに役立っているから世の中はよく分からないものである。
そしてそのきっかけを潰さず、育ててくれた両親には感謝しか無い。
第二章:高校時代 〜「信じる」ということ〜
高校3年間の思い出はほぼ部活(水球部)一色となった。
毎日毎日遅くまで練習の日々。全国大会が近くなったある日は練習終了が日をまたいだ時もあった。
合宿中は疲れ果てて手に力が入らず、食事の際に箸が上手く持てなかった時もあったし(隣にいた同期は茶碗と箸を持ったまま寝ていた)、家に帰ってから風呂の中で寝落ちした事は数えきれない。
それだけ練習しても、全国では勝てなかった。
全国大会までは行けた。でも勝てなかった。
今思うと、強豪校との差は技術やスタミナだけではなく、それらを活かしきる土台となる
「メンタルの質の差」
が大きくあったと思う。
今でも覚えているが、毎年優勝候補に入る強豪校と練習試合をした時、その学校のエース格の選手(後に日本代表にも入った)に
「俺達は全国で優勝するために毎日練習しているけど、お前達にはそういう意識を感じられない」
と言われた事がある。
それはただ単に「ストイックに練習に取り組む」だとか「目標を高く持つ」といったようなものだけではなかった。
根底にあったもの、それは
「自分自身とチーム(他者)への信頼」
というものだ。
自分自身を信頼する事で、状況に関わらず実力をきちんと発揮できるようになる。
100の力を持っていたら、どのような状況であってもその100をきちんと発揮できるという事だ。
これが当たり前のようで非常に難しい。
実力を高める事と、その実力をきちんと発揮する事は全く別物だ。
緊張したり、焦ったり、感情的に支配されてしまっていると、いくら高い実力を持っていてもそれを発揮できなくなり、パフォーマンスが下がる事はプロの世界でも起こりうる。
2015年のラグビーワールドカップの日本ー南ア戦がまさにそうだった。
実力を100%出し切った日本代表と、実力を出し切れなかった南ア代表。
そして「奇跡」と言われた日本代表の勝利。
超がつく程の高レベルの舞台でもこういう事は起こる。
「持てる力をきちんと発揮する事」がいかに重要なのか、お分かりいただけただろうか。
さらに、チーム(他者)を信頼する事で、個々人の力の集積としてのチーム力が飛躍的に上がる。
つまり1+1が2どころか10にも100にもなり得るという訳だ。
僕自身、約7年の水球人生の中でほんの数回だが、練習では一度もできなかったような、自分でも驚くようなレベルのプレーができた事がある。
それは僕の実力の問題ではなく、その時のパスの出し手や受け手のタイミングやスピード、また敵選手のマークを引きつけたりスペースを作った他の選手たちのお陰、つまりは「チーム」によって生み出されたプレーなのだ。
弱小チームが強豪チームを打ち破る「ジャイアント・キリング」というものはこの「チームの力」による所が大きい。
「ドリームチーム」と呼ばれるチームが思ったより勝てなかったりするのは「選手”個々人”の力」ばかりを重視し、「その集合体としての”ひとつのチーム”の力」を軽視しているからだ。
それはスポーツやビジネスの分野を見てみれば一目瞭然だろう。
この「個々の選手が実力をきちんと発揮する事」と「チームの力を高める事」、この双方が高レベルで融合すればするほど、勝利という結果は付いてくる事になる。
僕にそれを教えてくれた彼と彼のいたチームは、この「自分自身とチーム(他者)への信頼」という「精神力」つまり「メンタルの力」が非常に強かったように思う。
自分を信じ、チームメイトを信じ、精一杯プレーをする。
だから彼らは、毎年のように優勝候補と呼ばれるチームになっている。
逆に当時の僕は「監督に怒られないように」という意識があった。
それはつまり「ミスをする=怒られる」という認識があったという事で、則ち「自分自身もチーム(他者)も、信じ切れていなかった」と言える。
意識が分散しており、プレーに100%集中できていない。
そんな精神状態で自分の力を、チームの力を高められる訳が無い。
優勝候補と一回戦負けの「力の差」を思い知らされた経験だったが、今となっては、人に何かを教えたり伝えたりする仕事をする、言わばある種の「教育者」の端くれとして、自分にとって大きな財産となっている。
第三章:大学時代 〜人間の可能性とは?〜
大学時代は選手に加えて、コーチとして選手の育成を経験。
選手達は体格も筋力も、スタミナも技術も、得意も不得意も、そして気持ちの強さも皆違う。
当然、同じ練習をしても伸びる選手もいれば、伸び悩む選手もいた。
その差をどう埋めていくか。
伸び悩む部分をどう伸ばし、そして伸びている部分をどう更に伸ばすか。
それを考え、具体案を試してその変化を見る。
これがまた、興味深いものだった。
今まで伸び悩んでいた選手が、アプローチを変える事で蛹が蝶に羽化するかの如く変化する。プレーの質が驚くほど変わる。
そのアプローチも、ただ練習を工夫するというだけではなく、ちょっとした会話の中でできるものもあった。
実際に合宿中にある選手と食事をしながら話をした事がきっかけで彼の意識が変わり、その後の練習の取り組み方が変わり、結果として実力が大きく向上したという事もあった。
「心・技・体」と言うと少し大袈裟かもしれないが、アプローチできる視点、試す事のできる方法は無限にあるという事を学ばせてもらったし、そういう「変化の場」を選手と共有できる事はとても喜ばしいものだった。
すべての人にはそれぞれの可能性が、それぞれの才能がある。多くの人はただそれを開花させていないだけ。
その事を実際に体感させてもらえた。
僕は、高校・大学とたいしたレベルの選手では無かった。
でも、だからこそ得られるものがあった。
下手だからこそ色々悩んだし、下手だからこそ色々な分野から色々学ばせてもらい、色々考えた。
その経験が今、メンタルの専門家、教育者の端くれとして、大きな土台を作ってくれている。有難い事だ。
下手で良かった、と今は心から感謝しているし、たいしたレベルでなかった過去の自分、そしてそんな自分についてきてくれた選手達を心から誇りに思う。
第四章:サラリーマン時代 〜結局は「人と人」〜
社会人生活では本当に色々学ばせてもらったが、一番強く感じたのは
「結局は人と人」
という事。
お客様も、そして提供する側の我々も人間だ。
だからこそ相手を「道具」としてではなく「人間」として見、そして接しなければ何も始まらない。
ただ単に安売りをしても、ただ単に残業しても、たいした成果には結びつかない。
それは成果を出している人とそうでない人を具に見てみれば明白だった。
例えばあまり成果が上がっていないチームには、相手を「道具」としか見ていない人が重要なポジションにいたし、逆に成果を上げられているチームには相手を「人間」として見られている人が重要なポジションにいた。
思想家マルティン・ブーバーの言う
「我−それ」の人間関係(相手を道具とみなす人間関係)
ではなく
「我−汝」 の人間関係(相手を生命とみなす人間関係)
を構築する事。
それが結果というものを左右する。
ビジネスならば「売上」が
スポーツならば「勝敗」が
個人ならば「人生」が
この「関係性」によって、それぞれ左右される。
(蛇足だが彼の著作『我−汝』は名著なので是非読んでいただきたい)
今、僕が提唱している「コンセプトメイキング」そして「ブランディング」とは言わば
「楽に儲け(「楽して」ではなく)、楽に生きるための仕組みづくり」
というものだ。
ブランドを「自分でつくるもの」と勘違いしている人が少なくないが、その裏には「他者によってつくられるもの」という要素もある。
コインの裏表のようなもの。
だからこそ、相手を「道具」として見なしていては、ブランド構築など不可能だ。
それでは上手くいったとしても、一時的なブームにしかならない。
この信念を形作る事ができたのも当時の僕の上司達、僕を道具として見てくれた人達、僕を人間として見てくれた人達のお陰。心から感謝している。
第五章:独立後(その1) 〜魑魅魍魎との遭遇〜
当初は Web 制作業として独立、イベントの集客ページや ECサイトの構築を提供する。
しかしそれだけで は「売れる」ようにはならないと感じ、コピーライティングを本格的に学び、デザインと文章の双方を活用してモノを売る事を覚える。
35万円の商品を340個販売したり、10万円のセミナーに110人を集客したり、クライアントさんの出版が決まった(後に10万部越え)のもこの頃。
クライアントさんの売上は鰻上り。やればやるほど儲かった。
(と言っても儲かったのはクライアントさんであり、契約上僕の元にはほとんど入ってこなかったが・・・)
でも、やりがいや充実感はほとんど感じられなかった。
当時のクライアントさんやその周りの人は
「どうすれば自分が儲かるか、上に行けるか」
という人ばかり。
よく言えば
「行動力とハングリー精神が旺盛」
だが、その本心は
「自分の周りの人は道具にしか過ぎない」
という本心がある、重篤なトレードオフ状態。
「阿部さんに是非プロデュースお願いしたいんです。で、いくら儲けさせてくれるんですか?」
と言われた時には心が折れそうになったものだ。
当時は有難い事に口コミと紹介でお仕事をいただけていたが、そういう魑魅魍魎のような人達がどんどん増え、ストレスが増す一方。
「あれ?俺ってこういうストレスが嫌で会社勤めを辞めたんじゃなかったっけ?」
という本末転倒な疑問を感じる始末。
結果、そういう魑魅魍魎の皆さんとは縁を切る事に。仕事は無くなったけど、魑魅魍魎が祓われた(笑)お陰で無駄なストレスも綺麗さっぱり無くなった。
第六章:独立後(その2) 〜新たな出逢い〜
魑魅魍魎に悩まされていた頃、ある OL さんと出逢う。
お金もコネも特に無いものの、小さな頃から続けていた書道を仕事にしたいという彼女。
彼女の願いを実現するため、ブランドプロデュースをお手伝いする事に。
彼女が生きてきた20数年間の話、そして彼女の書道に対する想いをひたすら聴き、質問し、その答えをまたひたすら聴き、そしてまた質問する。
・・・という作業を延々と繰り返し、そこから得られた事を元にブランドコンセプトを明文化し、そのコンセプトをベースにしたサイトを制作。
「ただ単にクライアントさんの売上を上げる」
のではなく
「クライアントさんの夢を実現させる(結果として売上が上がる)」
という世界と、そういう人と共に活動する喜びを知る。
ちなみにその彼女とは、その後国内や世界各地で数多くのイベントで活躍し、女流書道家として、そして女性として豊かに生きている「矢部澄翔さん」である。
独立後3:「変化 − metamorphose −」
矢部さんのプロデュースで「ブランド」というものの力を知り、その力を更に多くの人に伝えるべく活動方針を
「ビジネスの売上を上げる」
のではなく
「応援される人(企業)になる(だからビジネスの売上が上がる)」
という方向に変更。
「人(企業)として、どう在り、どう考え、どう動くか」という
「存在と行動の指針」つまり「ブランドコンセプト」の設定
そして
そのコンセプトを顧客に届ける方法、つまり
「ブランディング」の策定
このふたつをクライアントさんと一緒に創り出す。
これによって、
・3ヶ月で売上を300%にできた占い師の方
・メディア PR によってプロジェクトが成功したコーチの方
・夢を叶えて自分の店を持てた職人の方
といったビジネスの成果のみならず、
・キャリアで悩んでいたセラピストさんのキャリアアップ
・家族関係で悩んでいた母親と子供の関係が改善
・恋愛下手な女性が理想的な男性と結婚できた
といった変化も生まれるように。
コンセプトとブランドの力が、ビジネスの成⻑のみならず、人ひとりの人生を変える事を可能にする事を学ばせてもらった。
色々な、本当に色々な方と出逢ってきたが、その全ての人にお礼を申し上げたい。本当にありがとうございます。
第七章:そして今。 〜「全部、同じだ」〜
それから今まで、ビジネスに限らず、様々な相談を伺ってきました。
恐らく4000人を超えていると思います。
それらの経験の中で今、ひとつの確信にも似た感覚を得ています。
それは
「全部、同じなんだ」
という事。
売上や利益をアップさせるのも
自己ベストを更新するのも
ダイエットを成功させるのも
家族や上司や部下との人間関係を改善させるのも
・・・
すべてが根本、すなわち
「きちんとしたパフォーマンスを出せるように本人の人生全体を最適化させる。そうすれば、自然に成果がやって来る」
という一点に関しては、同じだという事です。
これがこのサイトでお伝えする
「パフォーマンスデザイン」
というものです。
商売でも、スポーツでも、ダイエットでも、何をするにしても、成果を出すためには
「優れたパフォーマンス」を発揮する事
そして、そのために必要なのは
「正しい努力」をする事
ざっくり言ってしまえば、この2つだけです。
「人事を尽くして天命を待つ」
という言葉で言われている通りなのですが、これができている人があまりにも少ない。
だから望む成果をなかなか得られない。
そんなの、誰も幸せじゃないですよね。
余談ですが、僕の奥さんになるはずだった人が、まさにこの状態でした。
彼女は周りの人のために努力して、努力して、努力して、自分をすり減らしてしまい、パフォーマンスを落とし、その結果、命すら失ってしまいました。
「正しくない努力」が行き着くと、生命すら失いかねないのです。
彼女のような人をひとりでも多く手助けしたい。
叶えたい夢を叶え、実現したい目標を実現させ、その人自身も周りの人も、笑顔になってもらいたい。
それがこのプロジェクト立ち上げの根本的なきっかけのひとつでもあります。
あなたには、可能性があります。
これはもう、100000000%決まってる事実です。
しかし、他ならぬあなた自身が、それを信じず、蓋をして、目を背けてしまっている。
そんな現実があるとしたら、どうでしょうか?
ほんの少しでいい。
あなた自身の可能性を信じてみてほしい。
そしてどんなに小さくてもいいから、一歩を踏み出してみてほしい。
それが積み重なっていったら、それこそこの世界から差別や戦争すらなくなるのでは・・・
世界すら、変わるのではないか・・・
僕はそのように考えています。
もし、このwebサイトがあなたの役に立てたら、これ以上嬉しい事はありません。
よろしければ一緒に歩んでいきましょう。
長文を最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
8millions 代表
阿部 龍太