絶望との付き合い方 〜「いのちの言葉」〜

「ライフデザイン」科

偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」

このコーナーについては「こちら」からどうぞ。

 

【新コーナー】偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」 〜「情熱が持てない」というあなたへ 〜
「人の身体は、食べたものでできている」 とよく言われます。 間違いとは言いません。 でも僕は、これには100%同意できない。 「人はパンのみにて生くる者にあらず。 神の口から出る一つ一つの言...

 

さて、今回あなたにお伝えしたい「いのちの言葉」はこちらです。

 

絶望とは何だ

 

『リアル(66th)』より抜粋

 

バイク事故を起こした主人公、野宮。

 

同乗者は下半身不随。

自分は軽症。

高校は退学。

大好きだったバスケットボール部も退部。

最悪の人生。

 

でも、そんな彼に色々な出逢いがありました。

 

半身不随の同乗者とも和解できた。

応援し合える仲間もできた。

そしてプロバスケットボール選手になるため、トライアウトを受験する事に。

 

そこで直面した、プロとの圧倒的な差。

 

力も、技も、スピードも、全く通用しない。

打ちのめされ、コートに倒れ込む野宮。

 

頭の中に浮かぶ「絶望」という言葉。

 

そこで彼は自問します。

「絶望とは何だ」と。

 

その瞬間、彼の脳裏に浮かんだのは、バイク事故でふっとぶ自分と、自分の目線の先で倒れている同乗者。

横たわる彼らの身体に冷たく降る雨、そして聞こえて来る救急車のサイレン。

・・・

 

彼は呟きます。

 

絶望ってのは あれだ

 

『リアル(66th)』より抜粋

 

次の瞬間、バスケットコートに倒れている自分に意識が戻ります。

そして彼は言うのです。

 

これは違う

これは幸せって言うんだ

 

『リアル(66th)』より抜粋

 

雄叫びを上げて立ち上がり、もう一度プロに立ち向かう野宮。

 

これはただ単に

「何かに絶望して辛く苦しくても、乗り越えられるよう心を強くしましょうね」

という話ではありません。

 

その前段階。

 

そもそもあなたにとっての「絶望」とは何なのか?

今感じているその「絶望」は、本当に本当の「絶望」なのか?

という話なのです。

 

大好きなバスケットボールで、越えられないプロの壁を痛感した野宮。

自分の実力が全く通用しない。

しかしそれは彼にとって「絶望」ではなかった。

大好きなバスケがまたできる。

ひとりではなく5人(チーム)で。

 

それは、彼にとっては「幸せ」だったのです。

 

これに似た事が実際に、過去に僕がサポートしていたクライアントさんにもありました。

一念発起して自分の信じる道を進もうと独立したものの、なかなか理解してもらえない。

悔し涙を流す彼に僕が尋ねたのは

 

「その涙は何の涙ですか?」

 

というもの。

(この言葉だけ観ると僕は無慈悲極まりない鬼のように観えますが(笑)、実際は色々話をした上での質問ですよ。念のため)

 

独立した事への後悔なのか、理解されない事への苛立ちなのか。

それは彼にしか分からない事ですが、僕との会話の中で彼は考え、気付いたのです。

 

自分の信じる道を進んでいるという事こそが自分にとっての幸せであり、そこで認められていない今の状況は絶望でも何でもない。

 

という事に。

 

そんな彼はその後自分の道を真っ直ぐに進み、そして今、仕事の舞台でも、そして新たに授かった家庭という舞台でも、幸せに生きています。

 

僕たち人間のほとんどは、多かれ少なかれ「勘違い」の中で生きています。

自分の見たいものを勝手に選択し、自分の見たいように勝手に編集している。

ワイドショー等によくある、物事の一部だけを見て、それをその物事の全てだと捉える(一般化と言う恐ろしいものです)事などはその典型例でしょう。

 

だからこそ、大切なものをうっかり見落としてしまっているかもしれないのです。

 

心理学者のV・フランクルは、第二次大戦時にナチスの強制収容所に入れられ、苦しい(という一言ではとても片付けられない)時を過ごします。

肉体的にも精神的にも極限状態。

周りで人が倒れ、死んでいく事が日常茶飯事。

そんな状況下で生きて戻れた人が持っていた要素は、体力や肉体的な強さでは無かったそうです。

それは

 

繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得た

 

『夜と霧』より抜粋

 

この文にも現れています。

 

彼の著作を読んでみると、彼にとって真の絶望とは「強制収容所での生活」ではなく「自分の人生を諦める事」だったのだと思うのです。

収容所の生活を「絶望」だと感じていた人は、その生活から逃れられないと知った時にバタバタと死んでいったそうです。

 

しかし、フランクルはその先を見ていた。

彼にはやるべき事がありました。

それができない事、それが「絶望」であり、それ以外は「違うもの」だったのです。

 

だから彼は人生を諦めなかった。

それが彼の生還のひとつの原因だと思うのです。

 

今、あなたは絶望を感じているかもしれない。

それに対して「気にするな」とか「強くなれ」というような事を言うつもりはありません。

あなたは頑張ってきている。

それは間違いない事実です。

 

ただ、ひとつだけ、心の隅に置いておいて欲しい事があるのです。

あなたが今感じている「絶望」は「絶望に見えた他の何か」かもしれない、という事を。

ほんの少し、砂粒一粒くらいのレベルでいいので、その可能性を心に置いておいてほしいのです。

 

そしてもしよければ、今のあなたにとっての「絶望」とは何なのか、是非一度考えてみてください。

そしてその上で「今をどう生きるか」を考えてみてください。

 

きっとそれは、野宮が立ち上がれたように、あなたに大きな力をくれますから。

 

 

阿部 龍太

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