偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」
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さて、今回あなたにお伝えしたい「いのちの言葉」はこちらです。
神は「光あれ」と言われた。
すると光があった。
『創世記(1:3)』より抜粋
信者ではない方ですら知っている人も多いであろうこの言葉。
僕自身、ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもありませんが、この言葉からはいくつもの事を学ばせてもらっています。
ちなみに、僕にとっての宗教は、信仰するものではなく学ぶもの。
自分自身や周りの人、この世界を少しでもより善くするための「智慧」
教義に従う事ではなく、より善い人生を切り拓いていくための「行動指針」
それが僕にとっての「宗教」というものです。
だからこそ僕は、ユダヤ教やキリスト教だけでなく、仏教やヒンドゥー教や神道といった色々な神々の教えから学ばせてもらっています。
全ては、クライアントさんを、僕自身を、この世界を、少しでも善いものにするため。
なので別に特定の宗教を持ち上げたり、逆にこき下ろす事には興味がありませんのでご了承ください。
では、話を戻しましょう。
読んでいただければお分かりいただけると思うのですが、この文で神は
「光あれ」
と言って、光を創った訳です。
つまり
「神の意志」
で、光を創った訳です。
神が光を創る前、世界は闇に覆われていたそうです。
(参考)
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
『創世記(1:2)』より抜粋
つまり
1.最初、世界は暗かった
2.だから、神は光を創ろうと思った
3.神は光を創った
という訳です。
え?
「改めて説明するまでもない」
って思います?
いや、おっしゃる通りなのですが、これ実は、結構忘れられがちな事だと思うんですよ。
あなたは光を創っているか?
神は、自分の意志で「光を創ろう」と思って、そして光を創り、世界を明るくした。
これは分かりますよね?
問題は
我々人間に、それができているか?
という事。
つまり
自分の人生を、自分の意志で、明るくできているか?
自分の人生を、自分で暗くしていないか?
という事です。
この記事でもお伝えしていますが、あなたの人生は、あなたの「自作自演」の集合体です。
この記事でも書かれているように、
「起こった出来事」
そのものは、あなたの責任ではない事が多い。
だからそこを必要以上に気にする必要は無い。
(というより気にするべきではない、と言ってもいいのかもしれません)
でも、その出来事が起こった時、あなたが
どのような「感情」を選択するのか
どのような「思考」を選択するのか
どのような「言葉」を選択するのか
どのような「行動」を選択するのか
それはあなた次第だという事です。
仮に、あなたの人生が暗闇に包まれていたとします。
その時、あなたの人生に「光」となるものを生み出しているか?
そういう意志を持ち、そういう行動をしているか?
逆に、暗闇をより濃くするような事をしていないか?
この『創世記』の言葉は、そのようなメッセージを伝えてくれていると僕は考えています。
苦しい時は…
生きていれば色々あります。
楽しい時も、そして苦しい時もあると思います。
にんげんだもの。
なのでもし、人生で苦しみを感じたら、今からお伝えする事を、思い出してみてください。
これは僕が4000人以上の方の話を聞いた際に、そのほとんどの方にお伝えし、そして変化に結びついているものでもあります。
創世記では「光」が創られる前の世界は「闇」でした。
「闇」が先にあって、その後に「光」が創られた訳です。
だからもし今、あなたの人生が「闇」に包まれていたとしても、諦めないでほしいのです。
諦めず、勇気を出して
「光あれ」
と言ってほしいのです。
そして実際にあなたの人生に「光」を創り出せるような
感情
思考
言葉
行動
を積み重ねていってほしい。
この記事でもお伝えしていますが、あなたの人生を変えてくれる救世主は、あなた自身です。
あなた以外には誰もいません。
神がこの世界を創造したように、あなたの「人生」という世界は、あなたが創造するものです。
どのような「世界」を創造するのか。
「光」を創り出すのか。
「闇」を濃くするのか。
それは、あなたが決めていいのです。
「闇」の中だからこそ「光」は明るく、温かく、輝きます。
あなたの人生が、明るく、温かく、あなた自身と多くの人を照らせますように。
阿部 龍太
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