「うまくいきたければ、他人のせいにしよう」 〜「いのちの言葉」〜

「ライフデザイン」科

偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」

このコーナーについては「こちら」からどうぞ。

 

【新コーナー】偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」 〜「情熱が持てない」というあなたへ 〜
「人の身体は、食べたものでできている」 とよく言われます。 間違いとは言いません。 でも僕は、これには100%同意できない。 「人はパンのみにて生くる者にあらず。 神の口から出る一つ一つの言...

 

さて、今回あなたにお伝えしたい「いのちの言葉」はこちらです。

 

「ゼウスの陰謀」

(聖飢魔II)

 

みんな大好き我らが聖飢魔II。

彼ら悪魔の布教活動(=聖飢魔IIの音楽活動)には、様々な障害が立ちはだかるります。

 

・ミサ(コンサート)の最中、突然ギターの音が出なくなった。

・移動中、電車が止まって動かない。

・ミサ(コンサート)終了後の着替えで、パンツをはき忘れた(笑)

 

こういった障害を彼らは「ゼウスの陰謀」と呼んでいます。

 

悪魔である彼らにとっての敵、それが「神」。

彼らの陰謀によって、悪魔の布教活動(=聖飢魔IIの音楽活動)には、様々な障害が立ちはだかる訳です。

 

「え?何の話だ?」

 

って思いました?

 

実はこれには組織のマネジメントにおける、大きなヒントが隠れているのです。

今日はその事についてお伝えしようと思います。

 

 

あの高級ホテルと悪魔との共通点

この

「ゼウスの陰謀」

つまり

「起こったトラブルを神のせいにする事」

には、

「ある効果」

があります。

 

それは

 

1.起こったトラブルの「犯人探し」をせずにすむ

2.1によって、今すべき事に集中できる

 

というものです。

 

通常

 

・ミサ(コンサート)の最中、突然ギターの音が出なくなった。

・移動中、電車が止まって動かない。

・ミサ(コンサート)終了後の着替えで、パンツをはき忘れた(笑)

 

というトラブルが起こったら、関係者を責めたくなるものです。

(ただし3番目は完全に閣下ご自身の物忘れのせいです・笑)

 

そういった「犯人探し」をしない。

 

その代わり、今すべき事に集中する。

 

それが「ゼウスの陰謀」の真の効果です。

 

そしてこういった「誰かのせいにする事」を採用しているのは、彼らだけではありません。

 

高級ホテルの一つとして有名な

 

「ザ・リッツカールトンホテル」

 

何年か前に、リッツカールトンホテルのマネジメントのセミナーを受けた事があるのですが、彼らはトラブルが起こると

「ミスター・ビブ(MR.BIV)がやって来た」

と言うそうです。

 

この「ミスター・ビブ(MR.BIV)」とは

 

Mistakes:ミス

Rework:やり直し

Breakdowns:故障

Inefficiencies:非効率

Variation:ばらつき

 

の頭文字をとったものらしいのですが、詳細についてはここでは控えます(長くなりますし)ので、ご自身で調べてみてください。

 

さて、聖飢魔IIもリッツカールトンホテルも

 

誰かを責めるのではない。

犯人を捜しても何にもならない。

そうではなく、自分が今すべき事に集中したらどうだろうか。

 

という事を伝えてくれています。

アドラー心理学の「目的論」や、フランクルの「態度価値」にも繋がる考え方ですね。

 

日本には

 

「罪を憎んで人を憎まず」

 

という名言がありますが、それを現実世界で体現している(しかも悪魔と高級ホテル)というのが面白いと思うのです。

 

 

「自責」の本当の意味

こういう話をすると

「いや、全ては自分の責任でしょ?誰かのせいにしてたらダメでしょ」

と言う人がいます。

 

全ては自分の責任。

それこそ

「天気が悪くなっても自分のせいだと思え」

というものですね。

 

この「全ては自分の責任」という考え。

個人的には間違いだとは思いません。

 

全てを自分事にする事で、積極性が生まれ、自分の人生を生きる事に繋がる。

確かにそういう要素はあると思うからです。

 

ただし、この「自分事」による「積極性」が、悪い方に転がってしまう場合があります。

 

つまり

「全ては自分の責任である」

とした時のトラブルの対応として

 

1.「トラブルから学んで次に進む」という人

2.「自分を責めて動けなくなる」という人

 

に分かれる、という事です。

 

少し違う言い方をするのであれば、

 

1.積極的に学んで進む人

2.積極的に自分を責めて動けなくなってしまう人

 

に分かれる、という事です。

 

1も2も、真面目な人なのです。

ただ、その「真面目さ」というエネルギーが向いている方向が違っている。

 

片方は、真面目に考えて、今ここで自分のやるべき事に取り組む

片方は、真面目に考えて、過去や未来を見て、今の自分を責める

 

2のようになる、つまり自分で自分を傷つけ、自分の可能性を閉ざしてしまうくらいなら「自責の意識」は無くてもいいのでは、と僕は個人的に思うのです。

聖飢魔IIやリッツカールトンホテルは、この「自分の可能性を閉ざしてしまう事」を防ぐために「ゼウスの陰謀」や「ミスター・ビブ(MR.BIV)」という概念を採用しているのではないかと思っています。

 

起こってしまった事は仕方ない。

では、今、何をすべきなのか?

そして今後同じような事をしないために、何をどうすればいいのか?

 

といったように「理性的に考え、前進し、望む成果を得る」

そのために、彼らは積極的に「他人のせい」にしている。

彼らを見ていると、そのように感じるのです。

 

もし、あなたが2のタイプに近い人ならば、一度誰かのせいにしてみてはどうでしょう?

(もちろん、誰かのせいにするだけでは何の意味も無い事は言うまでもないのですが)

 

今のあなたの状況は、あなたのせいではない。

だからあなた自身を責める必要は無い。

その代わりに、今の自分にできる事を考え、行動に移す。

 

それを繰り返す事。

それが、聖飢魔IIやリッツカールトンホテルのように、多くの人に愛される事に繋がります。

 

是非一度試してみてください。

 

 

阿部 龍太

 

 

 

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