「もっと自分の商品やサービスを売りたい」
と思っているそこのあなたへ。
「靴のセールスマンの話」
というものを聞いた事ありますか?
僕が昔むかし、とある起業セミナーに行った時の事。
「トップセールスマンになる」というテーマの話だったのですが、その時に聞いた話です。
ふたりのセールスマンのお話
靴のセールスマン、AさんとBさんがいます。
彼らはある日、アフリカのある国に営業に行きました。
そこでふたりは驚愕の事実を目にします。
何とその国は誰も靴を履いておらず、裸足で歩いていたのです。
その状況を見てAさんは
「誰も靴を履いてないんだから売れる訳が無い」
と諦めて本国に帰りました。
その状況を見てBさんは
「誰も靴を履いてないなんて何て大きなビジネスチャンスだ!」
と本国に靴を送るよう要請しました。
という話です。
この話をしてくれた後、講師の方は、
「Bさんのように物事を肯定的に捉えられる人が、トップセールスマンとしてビジネスチャンスを捕まえられます。
あなたたちもBさんを目指してくださいね」
(講師のTさん)
と話してくれました。
あなたはこの話を聞いてどう思うでしょうか?
トップセールスマンって何だろう?
ちなみに当時の僕は、講師の方のその言葉に、違和感を感じていました。
靴を履いている人は誰もいない。
だから靴を売るチャンスだ、と。
理解は出来ますよ。その思考は。
でも、共感が出来ない。違和感を感じる。
講師の方は
「こういう風に常に物事をポジティブに捉える事、それがトップセールスマンの条件のひとつです」
と言っていましたが、個人的には
そもそもこれが「ポジティブ」なのか?
という疑問を感じてしまうのです。
だって、
靴を履いてない
という事は、そもそも論として、その人たちにとって靴というものが必要あるのかどうかも分からない訳です。
もっと言えば、靴を提供する事で、その人たちの今までの生活が豊かになれるかもしれないし、逆にそれを壊してしまう事になるかもしれない訳です。
それを前提に置いて考えた上での決断ならともかく、そうでないのであれば何が「ビジネスチャンス」であり、何が「ポジティブ」で、何が「トップセールスマン」なのでしょうか。
靴を履いてない=ビジネスチャンス=ポジティブなトップセールスマン
この繋がりがどうしても僕には腑に落ちないのです。
根底にあった違い
色々考えたあげく、ようやく気付けたのですが、この僕の違和感の根底にあったものは
「ビジネスチャンス」
というものへの意識の違いでした。
って、
そもそも
「ビジネスチャンス」
とは何なのでしょうか?
まあ文字通りに捉えるならば
「ビジネスをするチャンス(機会)」
なのでしょう(笑)
では、ここで出た
「ビジネス」
とは一体何なのでしょうか?
どうやらここに、問題の根っこが隠されているようです。
「ビジネス」とは何か?
もちろん、絶対的な正解なんてものは無いでしょう。
僕の意見が正しいと押し付けるつもりもありません。
あくまでも僕なりの、僕個人が納得する意見ではありますが、ここで紹介します。
僕は「ビジネス」というものを
「川を渡してあげるようなもの」
と捉えています。
想像してみてください。
川を隔てて、「こちら側の岸」と「向こう側の岸」がある。
「こちら側の岸」が「今の現実」
であり
「向こう側の岸」が「理想の状態」
という訳です。
此岸と彼岸というとちょっとアレですが(笑)、川を隔てて二つの別の世界があるという訳です。
その川を渡してあげる。
橋を架けてあげてもいい
船で渡してあげてもいい
飛行機で渡してあげてもいい
泳ぎを教えてあげてもいい
色々な方法で、
「現実世界」から「理想世界」
に移動(変化)してもらう。
相手の「問題」や「課題」を解決する。
より喜んでもらう。
そのための方法を提供する。
それによって報酬を頂く。
それが僕の考える「ビジネス」というものです。
僕が靴のセールスマンだったら…
今回の例で言うならば
講師の方の言う「ビジネスチャンス」とは
「商品を売る」チャンス
であり、僕が考える「ビジネスチャンス」とは
「相手の課題を解決する」チャンス
という違いがあった訳です。
僕の考える「ビジネスチャンス」とは、
1.相手の理想と現実のギャップの存在
2.1の差を自分が持つ力で埋められる機会の存在
この二つが成り立つ事を言います。
だからもし僕が靴のセールスマンだったとして
靴を履いている人が誰もいない
という状況で、かつ
裸足によって困っている人がいる
そして
自分の商品がその人の役に立てる(もしくは、今無くても、役に立てる商品を提供出来る)
のであれば、そこで初めて
「ビジネスチャンス」
と認識すると思うのです。
そうではなく、ただ単に
靴を履いている人が誰もいないというだけで「ビジネスチャンス」と捉える
というのは、少々どころではなく乱暴にも程があると思うのです。
…という話をとある広告関係の方にお伝えした所、
「ニーズを作ればいいじゃない」
と言われたのですが、もう脳味噌の代わりにヘドロでも入ってるんじゃないかと心配になったのを覚えています。
そんなプロパガンダのような、無理矢理空気を作って相手をそこに巻き込むという洗脳のような手法で、誰が幸せになるのでしょう?(まあ、仕掛ける側の人達でしょうけど)
そんな旧石器時代レベルの古い、そして実りの少ない事は、もうやめにしませんか?
欲求を「きちんと」持つ、という事
「ビジネスとは何か?」という問いに対して
「売上を上げるためのもの」
とか
「利益を上げるためのもの」
という意見を持つ方がおられます。
否定するつもりはありません。これらの要素も「ビジネス」というものを構成するひとつの要素である事は事実でしょう。
ただ、これら「だけ」になってしまうと問題ではないかと思うのです。
何故ならば、これらの意見は
「自己都合によるもの」
であり、
「相手の都合を考慮していないもの」
であるからです。
「売上を上げる」というのも、「利益を上げる」というのも、自分(自社)だけの都合、自分(自社)だけの欲求です。
そこに相手(顧客)の都合、相手(顧客)の欲求はありません。
それを忘れてしまい
「自分(自社)だけの都合」だけ
で動いてしまうと、仮に一時は売上や利益を上げる事ができても、その後多くの人に迷惑をかけ、結果事業が立ち行かなくなってしまう、そんな事になりかねません。
実際に、誰もが知っている有名な企業でも、そういう事は起きていますよね?
欲求を持つ事が悪いのではありません。
問題なのは、
自分の欲求だけを見て、相手を蔑ろにする(もしくはその逆で自分を蔑ろにする)
という事。
どちらかを犠牲にする発想では、結果として両方が犠牲になる事が少なくありません。
そうではなく、売り手と買い手、双方の欲求を満たそうとする事。
それが重要な事だと僕は思うのです。
提案。今こそ、発想の回帰を
商売とは、ビジネスとは何か。
これまでの話をまとめると
相手の問題や課題、困り事を解決する、もしくは喜んでもらったり笑顔になるための方法を提供し、それによって報酬を得る事
となります。
ビジネスとはただ単に、あなたの欲望を満たすためのものではないんです。
あなたの預金残高の数字を大きくするためでも、単なる技自慢や腕自慢をするためでもないんです。
互いに喜び合うもの、それがビジネスというものであり、ブランドというものです。
つまり、ビジネスとは
「自分と他者とのコミュニケーション」
によって形作られるものと言える訳です。
誰かとあなた、両者の関わりによって「売上」も「利益」も形になります。
売れるか、売れないか、黒字になるか、赤字になるか。
喜ばれるのか、憎まれるのか。
それは両者の関わり次第で変わってくるという事です。
最高の商品でも、その価値が他者に理解されなければ売れません。
逆に、質の低いものでも、相手にとっての価値が高ければ売れる事もあります。
どのような人と、どのようなコミュニケーションを、どれくらい深くとるのか。
それによってビジネスというものが変わり、それによってその結果も変わってきます。
って何だか偉そうに言ってますが、これは別に新しい概念でも何でもありません。
松下幸之助
渋沢栄一
二宮尊徳
上杉鷹山
彼らも同じような事を言っています。
もっと言えば、
仏陀
キリスト
彼らも同じような事を言っています。
や、
でも取り上げていますが、ビジネスという分野に限らず、
人と人が行う全ての行為
において、この「コミュニケーション」というものは根本にあるものです。
僕はメンタルトレーナーとしてカウンセリング的なお手伝いもしていますが、
アスリートのパフォーマンス向上だったり、
アルコール依存の回復だったり、
個人の性格改善だったり、
・・・
すべてはコミュニケーションの質を変える事で変化しています。
そして、ビジネスに関しても全く同じ事です。
人がより善く生きる事と、ビジネスで売上や利益を上げる事は同一線上にあるものです。
自分とのコミュニケーション
他者とのコミュニケーション
それらを意識し、望ましいものに変えていけば、その結果として起こる現象も変わってきます。
もし、今のあなたのビジネスがうまくいっていないのであれば、この
コミュニケーションの質
を改善する事を考えてみてください。
そうすれば当たり前ですが具体的な行動も変わります。
そうすれば当然、得られる成果も変わります。
是非、一度見直してみてください。
「人と人の関わり」というものを。
あなた自身の、そしてあなたの大切な人との間の根本にあるものに回帰してみてください。
必ず、ビジネスも人生も変わりますから。
阿部 龍太
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