「適切な絶望」こそが幸せへの第一歩である。
という話をしました。
【参考記事】
無知で無能で何も出来なくてもいい。そこから始めればいい。
出来ない事は出来ないと認めて、その上で自分が進むべき道を歩めばいい。
そうすれば可能性を新たに開く事が出来る。
だから、自分の無知さ、無能さを知る事は最高の事。
つまりバカとは何にでもなれる最高の状態と言えるのだ。
という話です。
でも、この話をすると、多くの人は理解が難しいようです。
「言ってる事は分からなくもないけど…」
という表情をされる方が少なくない。
確かに、その気持ち、理解は出来ます。
言ってしまえば
自分がバカである、と認識する事は嗚呼、何と素晴らしき事か!
と言っているようなものですから。
でも、この意味が理解出来ない人は、根本的な所で勘違いをしています。
だから幸せになれない。成長出来ない。
その状態で努力すればする程、おかしな事になってしまう。
その事について今回、お伝えしようと思います。
なぜ、あなたは幸せになれないのか?
結論から言います。
「物事を“善と悪”とに分けて判断する事」
これが今回僕がお伝えする「幸せになれない根本的な勘違い」です。
この「善悪の判断」がもたらす問題は2つあります。
1.自分の人生を生きられなくなる
2.人間関係の破綻
今回は1についてお伝えしましょう。
何が善で、何が悪なのか?
なぜ「善と悪に分ける」事で幸せになれないのか?
理由のひとつは前回の記事でもお伝えしたのですが、
新たな可能性を見失ってしまう
からです。
もうひとつ、今回お伝えしたい理由が
自分の人生を生きられなくなる
という事です。
なぜそんな事が言えるのか?
それを説明するためには「善と悪」というものがどういうものなのか、を考える必要があります。
そもそも「善と悪」というのは何なのでしょうか?
例えば、仮面ライダーやウルトラマンは、悪い怪人や怪獣と戦う「正義の味方」つまり「善」です。
でも、なぜ仮面ライダーやウルトラマンが正義の味方かと言えば、人間を守ってくれているからですよね?
つまり、正確に言うのであれば
「人間にとっての正義の味方(=善)」
と言える訳です。
逆を言えば、地球制服を企む怪人や怪獣達からすれば、仮面ライダーやウルトラマンこそ「憎むべき悪」となる訳です。
何を言いたいのか?
つまり
「善と悪」は、立場(ポジション)によって変わる。
という事です。
例えば、麻薬。
麻薬はほぼ世界中で規制されるべきもの、すなわち「悪」とされていますが、なぜそういったものが無くならないのでしょうか?
無くなっては困る人(生産者や売人)がいるからです。
そういう人達からすれば、いくら人を傷つけるものであっても、麻薬は「善」なのです。
例えば、ジャンクフード。
明らかに健康に悪い食べ物、すなわち「悪」なのに、なぜ無くならないのでしょうか?
それを売りたい人と、食べたい人がいるからです。
そういう人達からすれば、いくら健康に悪くても、ジャンクフードは「善」なのです。
このように「立場」が違えば「善悪」なんてオセロを裏返すかの如く簡単に変わってしまうものです。
善悪は時代を超える?
「立場」だけではありません。
他には「時代性」という要素もあります。
よく言われる例ですが、平和な時代に人を殺すと犯罪者になりますが、戦争で人を殺せば賞賛されます。
つい数十年前には、お国のために死ぬ事が善とされていた時代があった訳です。
また、アメリカの禁酒法のように、法律の改正によって、今まで合法だった事が非合法になってしまうという事だってある訳です。
今だったら、民泊に関する色々な動きがありますよね。
今までは全く問題なかった事が、これからは問題になってしまうかもしれない訳です。
インターネットに少し詳しい方ならご存知でしょうけど、Googleの検索アルゴリズムも同じですよね。
今までは問題なかった事が、突然スパム扱いされてしまう事もある訳です。
その他にも、過去の日本では、一夫多妻や同性愛が文化として少なくとも現代よりは普通に受け入れられていた訳ですし、明治時代の廃仏毀釈のように、宗教にも善悪がつけられていた時代もあった訳です。
立場、時代、法律、文化。
このように「善と悪」なんてものは、何かの拍子でころころ変わる、そんなあやふやなものなのです。
そんなあやふやなものを信じて、それに自分を「無理矢理」合わせてしまう。
それはつまり
他者の価値観、すなわち他者の意志で生きており、
自分の価値観、すなわち自分の意志で生きていない。
と言える訳です。
例えば、こんなことを言われた事がありませんか?
「いい学校、いい会社に入れば幸せになれる」
「成功するためには、嫌な事も我慢して頑張るべきだ」
「結婚する事が幸せにつながる」
「(女性に対して)子供を産んで育てる事が幸せだ」
「母親(父親・子供)は●●すべきだ」
「長生きする事がいい事だ」
・・・
個人的には、これらは正直言って戯言以外の何ものでもありません。
でもこれを「善である」と「無理矢理」信じてしまう、つまり
「他者の作った価値観」に自分を無理矢理合わせてしまって苦しんでいる人
が少なくありません。
いや、いいんですよ。これらを「善」としても。
実際にこれらで幸せになっている人もいるのだから。
これらが「悪」とは言いません。
でも、そうでない人もいる。
幸せの形なんて100人いたら100通りあるのに、
「これが幸せだ。それ以外は違う」
と勝手に決めつけられてしまう。
それを受け容れて幸せならばいいけれど、実際は苦しくなってしまう。
でも、合わせられない自分が「悪」なのだ。
だから、苦しくでも頑張らなければいけない。
そうやってますます苦しくなってしまう。
「善悪」に縛られてしまうと、そういう風に陥りやすくなってしまうのです。
だからこそ、僕はあなたに一度考えて欲しい。
無知やバカ=「悪」
というのは本当なのか?
と。
少し乱暴ですが、僕に言わせれば
どうせ人間バカなんだから(笑)、何が善で何が悪かなんて本当のところは分からない。
そんな「あやふやな善悪」に囚われて、自分の人生を苦しいものにして何の意味があるのか?
という事なんですよ。
確かに、物事を善悪で捉えてしまう事もあるでしょう。
にんげんだもの。
でも、そういった「善悪」というあやふやなものに縛られて、
自分のパフォーマンスを低下させたり、
自分の魅力を下げたり、
本来得られるはずのものを諦めたり、
他人や自分を傷つけたり
・・・
そんな苦しい思いをしてしまうのは、違うと思うのです。
人間は、縛られるために、苦しむために、生きている訳ではない。
もっと違う選択をしていいと思うのです。
「善と悪」のゲーム
前回の記事でお伝えした
「バカは最高の状態だ」
という話も、この「立場」を変えたものの見方です。
「知らない、できない、だからダメなんだ」
という「責める立場」つまり
「怒りや悲しみに生きる立場」
と
「知らない、できない、だったらどうなりたい?今何ができる?」
という「理想を目指す立場」つまり
「喜びに向かって生きる立場」
という違いであり、僕がメンタルトレーニングにおいてお伝えしているのは後者の生き方です。
そして、後者の生き方をビジネスに応用したものが、僕がブランディングで伝えているものです。
今がどんな状態であろうが
「自分の求める人生を生きる」
と決める。
その人生を実現させるために、
「現時点の自分」
をきちんと把握し
「その時にすべき事」
を行う。
「他者が作ったもの」
ではなく、
「自分自身が喜びを感じられ、その喜びを他者と共有できるもの」
すなわち
自分自身にとっての「善」
を目指す。
僕があなたに伝えたいのは、そういう生き方です。
もちろん、今までの人生であなたが作ってきた「善悪」は、今までのあなたにとって必要だったものです。
それがあったから今まで生きてこれた。
だから、それを否定するつもりはありません。
でも、今の、そしてこれからのあなたにそれが不要なのならば、自分を苦しめてしまうだけなのであれば、その「善悪」から卒業してもいいと思うのです。
もっと楽に生きていってもいいと思うのです。
自分を苦しめる「善と悪のゲーム」
もう卒業してもいい頃ではないですか?
もっと面白いゲームをしてみてはどうですか?
阿部 龍太
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