わかっちゃいるけどやめられない。「善と悪とのゲーム」卒業の第一歩

「ライフデザイン」科

「善」と「悪」に分けて物事をジャッジしてしまうと、自分自身も、他人も傷つけてしまう事になる。

「善」と「悪」に縛られず、全てを前進のための経験にしよう。

 

という話を前回にお伝えしたのですが、これを読んでくれたとある方から

 

「その通りだと思うし、そうしたいと思うけどなかなか難しい。どうしたらいいのでしょうか?」

 

という質問を頂きました。

 

(質問をくれたKさん、どうもありがとう!)

 

【参考記事】

仏陀、キングカズ、ダルビッシュ…偉大な先人が教える「黄金の法則」

 

分かります。その気持ち。

 

「わかっちゃいるけど、やめられない」

 

と言ったところでしょうか。

いくら自分をコントロールしようとしても、感情的になってしまうと難しいですよね。

 

では今回は

 

「善と悪とのゲーム」から卒業するための第一歩

 

をお伝えします。

 

 

ジャッジが生まれる原点

「善」と「悪」のジャッジ

というものが、なぜ生まれるのでしょうか?

 

例えば、電車の中でマナーが悪い人に怒りを感じて責めてしまう。

「こういう奴、ホント最悪!」

というように、彼らを「悪」とジャッジしてしまう。

 

なぜ、このような善悪のジャッジが起こってしまうのか?

そのメカニズムをもっとも簡単にお伝えするならば

 

1.出来事が起こる

  ↓

2.1に対して何らかの感情が発生する

  ↓

3.善悪のジャッジを行う

 

となります。

 

これを先ほどの例で表すと

 

1.マナーが悪い人を見かけた

2.1に対して怒りの感情が発生する

3.「こいつは本当にダメな奴だ」とジャッジをする

 

となる訳です。

 

これが「善悪のジャッジ」が生まれるメカニズムです。

 

 

好き嫌いで生きよう!

では、どうすれば「善悪」のジャッジから卒業出来るのか?

 

色々な方法があるのですが、個人的に一番簡単だと思う方法が

 

「新たな選択肢」を作る

 

というものです。

そしてこの「新たな選択肢」とは

 

「善悪」ではなく「好き嫌い」

 

というものです。

 

つまり

 

1.出来事が起こる

  ↓

2.1に対して何らかの感情が発生する

  ↓

3.善悪のジャッジを行う

 

これを

 

1.出来事が起こる

  ↓

2.1に対して何らかの感情が発生する

  ↓

3.自分自身にとっての「好き嫌い」に言い換える

 

という風に変えるという事です。

 

上記の例で言うのであれば

 

1.マナーが悪い人を見かけた

2.1に対して怒りの感情が発生する

3.「自分はこういうのは嫌いだ」と「好き嫌い」をする

 

となる訳です。

 

 

問題の無いジャッジ・問題のあるジャッジ

前回の記事でもお伝えしましたが

「善悪のジャッジ」とは、

 

誰かを自分よりも下(もしくは上)に見る事

 

を言います。

つまり、

 

・正しい/間違っている

・優れている/劣っている

・すごい/ダメ

 

というような尺度で物事をジャッジするという事です。

 

もちろん、問題の無いジャッジもあります。

 

例えばラグビーやサッカーですと、ルールによって

得点がより多い(失点が少ない)方が「勝ち」であり、

得点がより少ない(失点が多い)方が「負け」となります。

 

でもこれは、「得点(失点)」という

 

「万人が納得する尺度」

 

によるジャッジです。

だから(その得点や失点へのプロセスは別として)勝敗というジャッジに問題の声を上げる人はいないでしょう。

 

「3−1で負け?バカ言うな!1点しか入れてない俺達の勝ちに決まってるだろうが!」

なんて言う人がいたら、ちょっとアレですよね(笑)

 

しかし今回取り上げているのは

 

「一個人の感情によるジャッジ」

 

というものです。

 

先ほどの例の

 

1.出来事が起こる

  ↓

2.1に対して何らかの感情が発生する

  ↓

3.善悪のジャッジを行う

 

の3は2に対するもの、すなわち

 

「その人の個人的な感情によって作られたジャッジ」

 

となります。

 

個人の勝手な感情で善悪を判断するなんて、どれだけ偉いんだ、お前は神か仏か、って話です(苦笑)

 

とは言え、個人の感情、すなわち2に関しては仕方が無い訳です。

にんげんだもの。

 

だからこそ、

「これは自分の個人的な感情から生まれたジャッジなんだ」

という事に気付く。

 

これが上でお伝えした

 

自分自身にとっての「好き嫌い」で言い換える

 

というものです。

好き嫌いはあくまでも「個人的なもの」

他人に押し付けるものではないんですよね。

 

例えば僕は、とあるブランドのお菓子が滅茶苦茶苦手です。

でもそれは、僕の味覚に合わないだけで、そのお菓子を美味しく食べている人もいる訳です。

(実際に結構な人気ブランドです)

 

だから、

 

「このお菓子、僕は苦手だ」

と言うのは「好き嫌い」ですが

 

「このお菓子は不味い。こんなの作ってるなんて頭がおかしい」

と言うのは「ジャッジ」になる訳です。

 

上の例で言うならば

 

「電車でマナーが悪い人は自分は嫌いだ」

と言うのは「好き嫌い」ですが

 

「電車でマナーが悪い人は最悪のクズだ」

と言うのは「ジャッジ」になるという訳です。

 

ここまで、理解していただけましたか?

 

 

ジャッジの「向こう側」

ここまで、「善悪のジャッジ」から卒業するための第一歩についてお伝えしてきましたが。

ここではさらにその先のステップについてお伝えします。

 

上で

 

「ジャッジ」ではなく「自分自身の好き嫌い」として表現する

 

という話をしましたが、これには実は続きが存在します。

それは

 

好き嫌いを基に、自分が何をするかを決める

 

というものです。

つまり

 

1.出来事が起こる

  ↓

2.1に対して何らかの感情が発生する

  ↓

3.自分自身にとっての「好き嫌い」に言い換える

  ↓

4.3を基に、自分がどのような行動を取るのかを決める

  ↓

5.4で決めた行動を行う

 

 

となります。

つまり、自分の好き嫌いという「価値観が現れたもの」を基に、自分がどのような行動をするのが望ましいのかを考え、その行動をとる、という事です。

上の例で言うのであれば

 

1.マナーの悪い人を見かけた

  ↓

2.1に対して怒りの感情が発生する

  ↓

3.「こいつは本当にダメな奴だ」とジャッジをする

 

のではなく、

 

1.マナーの悪い人を見かけた

  ↓

2.1に対して怒りの感情が発生する

  ↓

3.「自分はこういうのは嫌いだ」と「好き嫌い」をする

  ↓

4.そういう人になりたくないのであれば、今の自分がすべき事を考える

  ↓

5.4で決めた事を実行し続ける(必要があれば修正しつつ)

 

となる訳です。

 

前回の記事で、ダルビッシュ投手の話題を挙げましたが、これも同様に

 

起こった出来事を活用して次に活かす

 

という事になります。

 

【参考記事】

仏陀、キングカズ、ダルビッシュ…偉大な先人が教える「黄金の法則」

 

これができるようになると、それこそどんな出来事からでも学ぶ事ができ、全ての出来事が成長につながるようになります。

どうでしょう?

そんな人生、最高じゃないですか?

 

ジャッジをして、嫌な気分になって、自分のパフォーマンスを下げてしまうか

 

それとも

 

ジャッジをせず、自分自身の好き嫌いから自分を成長させ、より高いパフォーマンスを発揮出来るようになるか

 

どちらの人生を送るのか。

それはあなた自身が選べるんです。

 

あなたはどちらを選びますか?

どうせなら、より楽しめる方を選びませんか?

 

 

阿部 龍太

 

 

コメント