「伝統」とは何か?相撲協会の姿勢から、売れるブランドを考えてみた。

「ブランドデザイン」科

日、こんなニュースがありました。

 

京都の舞鶴市で開催された大相撲の春巡業にて、土俵上で挨拶をしていた多々見市長が突然倒れた(後にくも膜下出血と判明)

女性が土俵上に上がり、市長の救護活動をした。

その状況下で「女性の方は土俵から降りてください。男性がお上がりください」という場内アナウンスがあった。

その後、土俵に塩が撒かれた。

 

こういった相撲協会の対応について、批判が集まっているそうです。

 

それに対して、相撲協会としては

「女性を蔑視している訳ではなく、歴代の伝統を守っている」

という対応をしているのだそうです。

 

ところで彼らがよく使う「伝統」という言葉。

あれって、どういう意味なのでしょうか。

 

 

「伝統」って何だ?

広辞苑によると

 

民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い伝えて来た、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術、あるいはそれらの中心をなす精神的あり方

 

という事なのだそうです。

 

もう少し細かく見てみると、伝統とは

 

「統」を「伝える」

 

と書くものです。

 

そしてこの「統」の意味を調べてみたところ

 

「ひとつにまとめる」

「おおすじ、おおもと」

「きまり」

 

といった意味があるそうです。

 

これを僕個人の独断と偏見でまとめると

 

過去から受け継ぎ、未来へ伝えるべき重要な大本

 

という事になる訳です。

 

で、話を戻すと相撲協会。

彼らの言う「伝統」すなわち

 

相撲についての重要な大本

 

とは何なのか、という話です。

 

 

なぜ「女性禁制」が「女性蔑視」と言われるのか?

 

個人的には、

 

「土俵上での女性禁制」

 

という制度そのものを、頭ごなしに否定するつもりはありません。

 

もちろん、今の時代には合っていないと思います。

一個人、あくまでもひとりの人間としては正直疑問に感じる部分はあります。

でも、そういう「大相撲の世界のルール」があるのであるのならば、僕は否定はしません。

 

個人的な主観も甚だしいですが

 

「女性更衣室は男性禁制」

 

という事と同じようなものだと思っています。

 

ただし

 

「女性蔑視」

 

になってしまうのは筋違いではないでしょうか。

 

女性更衣室は、女性や男性を蔑視しているものではありません。

ただ単に男性と女性を分けるためのものです。

 

しかし、今の相撲協会の姿勢は

 

「女性禁制→女性蔑視」

 

というつながりに近いものを我々に感じさせている。

だから非難が出る訳ですし、そこに問題があると個人的には感じています。

 

今回の事件で言うならば、なぜ男性の救護担当を配備していなかったのでしょうか?

相撲には怪我がつきものです。

それは力士本人に限りません。

土俵から力士が落ちてくる事もある訳ですから、観客だって怪我をする可能性があります。

であれば、何かあったときのために救護担当がすぐに対応できる体制を整えておく事は絶対必要ですよね?

 

なのに今回の事件では、担当の方よりも観客の女性の方(看護師さんだったそうです)の対応の方がより早かった。

相撲は年配の方も観戦しますから、倒れる人が出る可能性を考えていなかったなんて事はあってはならない事。

それはもう、イベントを開催する体制に不備があったとしか言えない、完全な「失態」というものです。

 

「土俵上は女性禁制」

100歩譲ってそれは認めたとしても、そういう「体制の不備」があるにもかかわらず「土俵上は女性禁制」としてしまう。

そこに問題があると思うのです。

 

また、今回の事件とは別の出来事ですが、この事件の後に兵庫県の宝塚市でも巡業が行われ、その時は市長挨拶は土俵の下で行われたそうです。

何故ならば、兵庫県の中川市長は女性だから。

 

同じ市長なのに、片方は土俵に上がれ、もう片方は上がれない。

そしてその理由は

 

「歴代の方々がやってきた事を守っている」

(春日野巡業部長コメントより抜粋)

 

ならば、挨拶や表彰式のための演台を別に設置すればいいのではないでしょうか?

 

「やるべき事」もやらずに、ただ「女性禁制」だけを謳う。

 

だから「女性蔑視」と感じさせてしまい、非難されてしまうのではないか。

そこに僕は相撲協会の問題の根本があると思っています。

 

ルールはルールなんだからとにかく守れ!

時代の変化?そんなの知るか!

自分たちにできる事をしっかりやれ?は?何それ?

決まってる事なんだからとにかく従えよ!

 

と言っているようにしか聞こえません。

甘ったれた子供の戯れ言のようにしか僕には聞こえないのです。

 

 

今回の事件を、あなたの商売で活かすために。

以前、こんな記事を書きました。

 

芸術界屈指の「変なおじさん」が教える商売繁盛のコツ 〜「いのちの言葉」〜
偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」 このコーナーについては「こちら」からどうぞ。 さて、今回あなたにお伝えしたい「いのちの言葉」はこちらです。 画家は、貧乏であるよりは裕福であるほうがいい。 ...

 

芸術家として名高いサルヴァドール・ダリ

この記事の最後に、僕が一番好きな彼の言葉を引用しています。

 

あなたは、あなたの一生以外の何ものでもない。

(サルヴァドール・ダリ)

 

これを、今回の事件に当てはめて考えてみてください。

今の相撲協会が、あのような「体たらく」(あえてこの表現を使っています)に成り下がっているのは、相撲協会、ひいてはそれを構成する役員たちがそういう「生き方」をしてきたからではないでしょうか?

 

暴力事件、八百長事件、虐めによる殺人事件。そして今回の事件。

もちろん協会として、変化させようと努力してはいるのだと思います。

 

でも、その方向性が、その深さが、的を外れているのではないでしょうか?

 

僕はブランド構築というものを

 

「文化創生」

 

と位置づけています。

 

その企業の「文化」を創る。

誰が、何のために、誰のために、何を、どのように行うのか?

それを具体的な、目に見えるものにする。

 

その結果として、その「文化」を好きな人が集まってくれる。

だから僕の言う「ブランド」は

 

・自分に合った人、自分をより成長させてくれる人が来てくれるようになる

・そういう人にもっと喜んでもらおうと努力する

・もっと喜んでもらえるようになる

価格競争に巻き込まれる事なく、売れ続ける

 

という事を実現できています。

コンサルタントに頼んだ時だけ売上が上がったとか、そういう薄っぺらいものとは違うのです。

 

今の相撲協会のブランドは、今の彼らの「文化」そして今の彼らの「生き方」が目に見える形になっている。僕はそう考えています。

 

僕は「伝統を守る」という事は賛成です。

時代を越えて受け継ぎ、そして伝えるべきものは確実に存在する。

個人的にそう考えているからです。

 

しかし同時に僕は「伝統」とは

 

今を、そして未来を生きる人がより豊かに生きていくため

 

に存在するものだとも考えています。

 

「伝統」とは何なのでしょうか?

何のためにあるのでしょうか?

 

「伝統」が守られるのであれば、

 

酒に酔って人を傷つけても

勝敗を金で解決しても

指導と称して人を殺しても

急病で倒れた人を放っておいても

 

それでいいのでしょうか?

という話なのです。

 

相撲協会の方にはこの記事を読んで是非考えていただきたいし、同時にあなたにも、相撲協会を非難するだけではなく、あなたの商売に活用できるよう、是非考えてみていただきたい。

 

あなたの商売は、どうでしょうか?

あなたの会社の「文化」はどうでしょうか?

あなたやあなたの会社のスタッフさん、またあなたの会社の商品やサービスは、誰かを理由も無く傷つけていないでしょうか?

 

あなたの商売の今の現状が、あなたがこれまで生きてきた姿を表しています。

現状を変えたければ、あなたの「文化」を、すなわちあなたの「生き方」を変えるしかないのです。

マーケティングとかマネジメントとか、色々な知識や技術は確かに役に立ちますが、根本となる「文化」がボロボロなら、学んだところで、すぐに元の木阿弥。何も変わりません。

 

それは、相撲協会だけではなく、最近不祥事のデパートと化している某マスコミや某メーカーや某金融会社を見ていれば分かりますよね。

変わろうとするのは大切です。

でも、変えるものを間違えていては変わりません。

 

何のために、何を、どのように変えるのか。

それを考え、実行していく事が重要です。

 

それを是非、今の相撲協会の体たらく(あえてこの表現を使っています)から学んでいただきたい。

そしてそれを、あなた自身に活かしてほしいのです。

 

 

最後に、相撲協会の皆さんへ

もしここまで読んでくださっているあなたがもし相撲協会の関係者なら是非聴いてほしい事があります。

 

実は僕、相撲好きだったんですよ。

千代の富士、北勝海、若貴、曙、武蔵丸といった素晴らしい横綱たち。

横綱以外でも、若嶋津、寺尾、小錦、魁皇、栃東、武双山、舞の海、安芸乃島といった個性的で実力のある力士たち。

 

色々な魅力的な力士、白熱した心技体のぶつかり合い。

子供の頃からドキドキして見てましたし、一瞬で勝敗が決まってしまう相撲という厳しい世界、そしてその場で闘うために日夜鍛錬している気高く美しい力士の皆さんを尊敬していました。

相撲が好きでした。

 

世界の主要スポーツのどれよりも早くビデオ判定を導入(正確には1969年五月場所より)して、勝敗というものをきちんと見極め、そして真摯に闘っている力士をきちんと守ろうとしていた。

(蛇足ですが、そういう意味ではサッカーは何とかなりませんかね…)

 

そんな輝くような価値が、相撲にはありました。

だから僕は、相撲が好きでした。

 

でも、今は「でした」と過去形になっています。

今でも真摯に相撲と向き合っている力士の方、関係者の方がいるのは分かります。

でも今、僕は、相撲を好きだとは言えません。

 

相撲協会の方々が間違っていると言うつもりはありません。

「伝統を伝える」という事を、相撲協会なりに考えた上での行動だというのは理解できるからです。

 

でも少なくとも、現状を見るならば、相撲は最早、気高くもないし、美しくもない。

薄汚れたものになりつつあります。

 

以前、フランスの大統領が

 

「相撲は野蛮なスポーツで知的とは言えない」

(サルコジ元大統領)

 

と言っていました。

 

当時は

「多分、あなたの知的水準が低いだけだよ」

と思っていましたが、今は彼に対して、正直何か言い返せる自信がありません。

 

僕も彼と似たような事を感じているからです。

僕は、それが、とても悲しい。

 

女性を穢れたものと見なす前に、現代の相撲自体が穢れつつある現状を、最早現代の相撲が「神事」と呼べるものではなくなりつつある事に、どうか目を向けてください。

そして、相撲をもう一度、輝かせてください。

 

子供も大人も、男性も女性も、日本人でも外国人でも、元気を貰える。

野球やサッカーでは成し得ない事が、相撲では可能です。

(野球やサッカーは試合の結果でサポーター同士が争うという最凶に最悪な要素があるからです)

 

どうかもう一度、相撲の輝きを取り戻してください。

今は厳しいでしょうけど、変化をする絶好のチャンスとも言える機会でもあります。

陰ながら応援しています。

 

 

阿部 龍太

 

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