ロナウジーニョに学ぶ「楽しむ事」の光と影 〜「いのちの言葉」〜

「ライフデザイン」科

偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」

このコーナーについては「こちら」からどうぞ。

 

【新コーナー】偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」 〜「情熱が持てない」というあなたへ 〜
「人の身体は、食べたものでできている」 とよく言われます。 間違いとは言いません。 でも僕は、これには100%同意できない。 「人はパンのみにて生くる者にあらず。 神の口から出る一つ一つの言...

 

さて、今回あなたにお伝えしたい「いのちの言葉」はこちらです。

 

「楽しもう、楽しまなければ損だ」

(ロナウジーニョ)

 

2018年1月16日に引退を発表した

ロナウジーニョ

本名ロナウド・デ・アシス・モレイラ。

彼が2003年に移籍したFCバルセロナ(スペイン)で言っていた言葉なのだそうです。

当時、バルセロナでチームメイトだったシャビは、彼についてこう言っています。

 

これまでのクラブの歴史上、ひとりの力によってこれほどチームを激変させた選手はいない。

(中略)

バルサはロナウジーニョが来るまで、重要なタイトルから遠ざかり、クラブの組織にも問題があった。

でも、ロナウジーニョは天性の明るさで、すべてを消し去ってしまった。

(中略)

彼の性格が、それまでのやや悲観的なロッカールームを楽天的なものにした。

彼が入り、バルサは常勝軍団に変わり始める。

 

(『シャビ バルサに生きる』より抜粋)

 

まあ、彼の凄さについてはここで語る必要はないでしょう。

世界最高のサッカー選手のひとり。

まさに魔法使いのような、凄まじい輝きを放っていた選手でした。

 

ただ、光が強ければその分闇も濃くなるもの。

彼もそうでした。

リーガ優勝やCL優勝の立役者になったものの、度重なる夜遊びや練習のサボりでパフォーマンスを低下させてしまいました。

とは言え、ブラジルに移籍してからもコパ・リベルタドーレス(南米王者)を獲得しているように、彼の才能の煌めきはその後も消えた訳ではありません。

しかし、彼の全盛期を知る人からすれば、非常に物足りない部分があるのではないでしょうか?

 

あれだけの才能がある選手です。

今で言うメッシやロナウドのように長く輝き続けられたと思うのは僕だけではないはずです。

 

(まあ、それが天才と言われる人達の”らしさ”なのかもしれませんが…)

 

「楽しむ」という事。

 

これは、とても重要な事だと僕も思います。

しかし、問題なのは

 

何のために楽しむのか

 

という点です。

 

アイザイア・バーリンという哲学者が著書『自由論』の中で

 

・積極的自由

 

・消極的自由

 

というものについて論じています。

 

少々乱暴ですが、これらを簡単に説明するのであれば

 

・積極的自由・・・自由に何かを得るという事。

例えば子供が、プロサッカー選手を目指す自由。

 

・消極的自由・・・自由に何かから逃れるという事。

例えばプロサッカー選手を目指している子供が、苦しい練習をサボる自由。

 

というものです。

(雑過ぎてごめんなさい!)

 

僕はこの「楽しむ」というものについても、バーリンのような

 

・「積極的に楽しむ」という事

 

・「消極的に楽しむ」という事

 

の2種類があるように思うのです。

 

簡単に言えば

 

・「何かを得る」ために楽しむ事

 

・「何かから逃げる」ために楽しむ事

 

というものです。

 

人は「快」を欲し、「不快」を避ける生き物です。

(人に限らないでしょうけど)

だからこそ、別に「消極的に楽しむ事」が悪い訳ではありません。

気分転換をしたくて酒を呑んだり、パーティー等で大騒ぎしたりする事だってあるでしょう。

にんげんだもの。

 

ただ、問題なのは上でもお伝えしたように

 

何のために楽しむのか

 

という事です。

 

もしロナウジーニョが、リフレッシュしてまた次の日から頑張るために夜遊びをするのであれば、次の日に二日酔いで練習に参加できなくなるというのはおかしな話ですよね?

何度でも言いますが、夜遊びが悪いという訳ではありません。

その夜遊びが、自分自身の目指す道に繋がるかどうかが問題なのです。

 

僕が過去にサポートした人の中にも、ここを勘違いしている人が何人かおられました。

 

そういう人達の典型的なパターンは

 

「楽しむ」

 

 

「楽をする」

 

という事を「同一のもの」と見なしていた。

 

という事です。

 

つまり「楽しむ」という事がどういう事なのか、本人も理解できていなかったという事です。

 

いや、別にいいんですよ。何を選択しても。

楽しもうが、楽をしようが、何を選択してもいいのです。

あなたの人生の主人公は、あなた自身なのだから、あなたが決めていいのです。

 

ただ、その結果どんな現実が訪れるのか。

その現実はあなたにとって望ましいものなのか。

あなたは人生において何を欲しているのか。

 

そういう、あなたの人生における「グランドデザイン」を考え、それに沿った「楽しみ」を得られるよう考え、行動をして欲しいのです。

 

「楽しむ事」の重要性が色々な分野で言われていますが、この事を勘違いすると単なる無法地帯(笑)が出来上がるだけです。

まあ、そういう人や団体、少なくないですよね。

余計なお世話極まりないのでしょうけど、せっかく楽しむのであれば「健全に」楽しめた方がいいのではないかと思うのです。

 

さて、あなたは「楽しめて」いますか?

 

 

阿部 龍太

 

 

 

コメント

  1. シマダ より:

    不器用なので、楽しむのは諦めてます。
    逃げる才能には卓越してるので、サボれる環境の構築は非常に上手いです。
    ロナウジーニョは肉体に縛られるサッカーでやったから残念なだけで、限界がない思考やビジネスで堕落するのは結果が出るので逃げ回るのはメリットしかないと考えてます。

    • 阿部龍太 より:

      シマダさん

      コメントありがとうございます。

      僕はシマダさんの状況を何も知らないので見当違いでしたら申し訳ないのですが、ここでシマダさんのおっしゃる「逃げ」とロニーの「逃げ」は全く別物のように個人的には感じています。

      シマダさんは、サボれる環境を構築する事を「逃げ」と定義しているようですが、それはつまり「サボっていても仕事がうまくまわる」ような環境を創っているのだと思うのです(間違っていたらすみません)

      僕の認識が間違っていなければ、シマダさんの言う「逃げ」は「挑戦」であり「成長」だと考えます。

      しかし、ロニーの「逃げ」はシマダさんの言う「逃げ」とは違います。

      サッカー選手としてやるべき事をやらない。

      本当にただの「逃げ」です。

      彼がシマダさんのように、練習をサボっても、試合で高いパフォーマンスが出せる状況を作り出せたのであれば問題なかった可能性は高いですが、彼はそれをしていなかったし、その後のチーム、特にヨーロッパを離れてからのチームとの契約状況を見る限りでは「才能に胡座をかいてやるべきことをやっていない。だから試合でもパフォーマンスを出せない」と評されていたのも仕方ないと思いますし、彼が肉体に縛られない他の業界に移っても正直同じだと思っています。

      シマダさんのコメントで「やるべきことをやる」という事について一歩深く掘り下げる事ができました。

      ありがとうございます。