偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」
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さて、先日僕、誕生日だったんですよ。
この世に生を受けた日。
個人的には「生きる」という事を考えさせられる日でもあります。
なので今回はちょっと中二病っぽい(笑)ですが、こんな「いのちの言葉」をお伝えしようかと。
這うて悔いて死ぬか、疾って夢見て死ぬか。
どちらにする!?決めろ!!
(『DRIFTERS』第13話より抜粋)
主人公は侍大将。
関ヶ原の合戦で死にかけた彼がとある村で出会った人々は、侵略者によって奴隷にされ、苦しんでいました。
殺された親や子の仇を打ちたい。
人質にされた家族を助けたい。
この苦しみから解放されたい。
でも・・・
思い悩む彼らに主人公は上の言葉を伝えます。
そして彼の言葉をきっかけに村人達は立ち上がり、村を解放に導くのです。
幸いにも我々は命の危険に常に晒されている訳ではありません。
でも、この村人のように生きている人、周りにいないでしょうか?
●●は嫌だ。
○○をしたい。
でも・・・
自分の気持ちを無視し、もしくは押し殺して、歯を食いしばって生きている。
もちろん、それが必要な時もあるかもしれない。
でも、常にそういう生き方をしている人が少なくない。
約4000人の話を聞いてきて僕はこのように感じています。
人は、必ず、死にます。
「その時」がいつ来るのか。
それは人によって違いますが、必ず「その時」はやって来ます。
誰に対しても平等に。
致死率100%。
それが人間の宿命というものです。
「その時」が来るのがいつなのか、それは誰にも分からない。
100年後かもしれない。
10年後かもしれない。
1年後かもしれない。
1週間後かもしれない。
3日後かもしれない。
だったら、その時までどう生きるのか。
それを自分なりに考え、自分なりにそれに沿って生きる。
それが重要なのではないか、と僕は考えます。
冒頭の言葉を言った主人公は、村人達にこう続けます。
たとえ死んだとて、あの世で父祖にこう言える。
「闘って死んだ」と。
「家族を守ろうと死んだ」と。
女房を取り返せ!
子を取り返せ!
国を取り返せ!
己を取り返せ!
(『DRIFTERS』第14話より抜粋)
幸いにも我々は女房や子供や国を奪われている訳ではありません。
(少なくとも今は)
しかし、ここで出ている
「己」を奪われている人
もう少し正確に言えば
自ら「己」の人生を他者に渡してしまっている人
は、少なくないのではないでしょうか。
いや、別にそれでもいいんです。
他者に自分の人生を渡してしまっても、それでもいいんです。
あなた自身が、それに納得して、その結果喜んで生きられるなら、それでもいいんです。
でも僕は今までの人生で、そういう人に出逢った事はありません。
今まで出逢ってきた人の中で、
・自分で自分の人生をデザインできていない人
・自分で自分の人生を生きられていない人
こんな人は、どこかに苦しい思いを抱えていました。
僕の勝手極まりない固定観念ではありますが、非常にもったいない事だと思うのです。
どうせ、死ぬのです。
何をしても、何をしなくても、どうせあなたは、死ぬのです。
とは言え「どうせ死ぬのだから」と自暴自棄になって、北斗の拳よろしく
「ヒャッハー」
と好き勝手やれ、と言っている訳ではありません。
あなたの言動の対象や内容によって、何かしらの結果は還ってきます。
人を喜ばせればそれ相応の結果が、人を傷つければそれ相応の結果が、それぞれ還ってきます。
199x年に「ヒャッハー!」って言って暴れてた人達はケンシロウに指先ひとつでダウンさせられましたよね?
そういう事なのです(笑)
話を戻すと、あなたはいつか、絶対に死にます。
何をしても、何をしなくても、どうせあなたは、死ぬのです。
であれば、何をして生きていきますか?
何をしないで生きていきますか?
という話です。
何を考えていても
どんな事をしていても
あなたは必ず、いつか死にます。
だったら、今、何をしますか?
どう生きますか?
大切な人と、大切なことをして、笑って、生きていきますか?
嫌な人と、嫌な事をして、苦しんで、生きていきますか?
是非一度、考えてみて欲しい。
死ぬ事を考える事は、同時に生きる事を考える事にも繋がりますから。
・・・という事を、先日誕生日を迎えた不惑越えのおっさんは思っている訳です(笑)
今日が誕生日の人、おめでとうございます。
これから素晴らしい人生になりますように。
阿部 龍太
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