偉大な先人達から学ぶ「いのちの言葉」
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さて、今回あなたにお伝えしたい「いのちの言葉」はこちらです。
今までの君はまちがいじゃない
君のためなら橋を架けよう
『約束の橋(佐野元春)』より抜粋
彼のファンという訳ではないのですが、この詞だけは何故か憶えています。
初めて耳にしてから、もう20年以上経っているような気はしますが、何故か、憶えているんですよね。
(調べてみたら、この曲は1989年発表なのだそうです)
経営者やビジネスパーソン、
アスリートやアーティスト、
主婦やおじいちゃんや学生さん・・・
色々な相談を受けてきて、今まさにこの言葉を強く噛みしめています。
誰もが過去に、何かしらの経験をしています。
何かに成功した経験も、
何かに失敗した経験も。
そして、少なからずの人が、程度の差こそあれ、その過去の失敗経験で苦しい思いをしている。
その経験で、自分を傷つけ、責め、縛り付けている。
「どうせ自分には無理だ」
と(本人が気付いていないうちに)感じている。
その結果、
今の自分を諦め、
未来の自分を諦めている。
そんな人が少なくない。そう僕は感じています。
もし今このブログを読んでいるあなたがそういう人だったら、そんな人にこそ、佐野さんのこの詞を贈りたい。
「今までのあなたの経験、今まであなたが歩んできた道、そして今までのあなた自身は、決して間違いなどではない」
という事を。
ただ、ひとつ重要な事があります。
それは
「過去の経験が正しかった」と思えなくても構わない。
という事です。
「あの経験があって良かった」
とまで言えなくてもいい。
(もちろん、そう言えるならそれでも構いません。どちらでもいいという事です)
「過去を肯定」できなくても別に問題はありません。
実際に、サッカー日本代表の元監督であった
イビチャ・オシムさん
彼は、旧ユーゴスラビアの内戦を経験していますが、
「過去を肯定する事は、戦争そのものを肯定する事だ」
と、過去の肯定はできないというスタンスをとっています。
しかし彼は、過去の戦争から学び、今を変え、未来をより善いものにするために生きています。
「肯定」はできなくても「否定」はしていない。
過去と向き合い、
その事実を認め、
その上で今、ここで、自分が何をすべきなのかを考えて、行動している。
あの時起こってしまった出来事
あの時起こしてしまった行動
あの時選択したもの
あの時感じた事
・・・
肯定できなくても、否定はしない。
その出来事が過去に起こったという「(存在)事実」を認める。
その上で、未来をより善くするため、今すべき事をする。
そうすれば、今が、そして未来が変わる。
だから、過去は正しくはなかったかもしれないけれど、間違いだった訳でもない。
僕はそのように、考えています。
今までのあなたは、間違ってはいません。
その時その時の過去には、その時のあなたなりに頑張っていたはずです。
確かに、良い結果は得られなかったかもしれない。
でも、その時のあなたなりに一所懸命やっていた。
その一点は認めてもいいのではないでしょうか?
そして、より善い未来へ向かうための「橋」を架ける。
「苦しい未来」への橋を架けるのではない。
「望ましい未来」への橋を架ける。
つまり、望ましい未来のために、今のあなたがすべき事を考え、それを行う。
正しいとか間違いとか、結果ではなく、プロセスを大切にする。
あくまでも僕の勝手な見地ですが、佐野さんは、こういったメッセージを我々に送ってくれているように思うのです。
そして佐野さんは、曲の最期に、こう唄っています。
これからの君はまちがいじゃない
君のためなら河を渡ろう
『約束の橋(佐野元春)』より抜粋
そう。
今までのあなたが歩んできた道が間違いではなかったように、これからのあなたが歩む道も間違いではないのです。
過去のあなたも
今のあなたも
未来のあなたも
否定する必要はありません。
自分を縛る「鎖」を、自分で巻き付ける必要は無いのです。
自分を縛らず、
他者も縛らず、
ただただ、自分にとって望ましい道を、他者と喜び合える道を進む。
それが商売においても、人生においても、大切なことではないか。
そう僕は思うのです。
あなたの「河の向こう岸」が素敵な場所でありますように。
阿部 龍太
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