以前、とある町で、地方創生の仕事をしている人の話を聞いた事があります。
そこで感じた事。
「地方創生」と「痴呆創生」は結構紙一重なんだなあ。
という事。
同じように、真面目に仕事をしているはずなのに、一方は成果が出て、もう一方は成果が出ない。
一方は人やお金が集まり、もう一方は労力やお金が出て行く。
町が豊かになる「地方創生」
町がダメになる「痴呆創生」
一体、何が違うのか?
個人的な独断と偏見極まりない意見ですが、僕は3つのポイントがあると思っています。
それは
1.そもそもの目的が不明確
2.手段が浅薄
3.ひとりよがり
といったものです。
では、ひとつずつ見ていきましょう。
*ちなみに「痴呆創生」って穏やかではない表現ではありますが、あくまでもメタファーであり特定の個人や団体に向けたものではないのでご容赦を。気分を害されたらごめんなさいね。
1.そもそもの目的が不明確
これ、もうこの時点で完全にアウト(苦笑)なんですけど、地方創生に関わる方のお話を伺う限り、こんな感じの所が少なくないように感じています。
そもそも「地方創生」とは何なのでしょうか?
辞書やどこかの本に書かれている意味ではなく、仮にあなたが「地方創生」の仕事をしているとして、あなたにとっての「地方創生」とは何なのか、という事です。
何がどうなったら「地方創生」と言えるのか?
例えば観光客が増える事なのか?
移住者が増える事なのか?
仮に「観光客が増える事」と設定したならば
一人旅なのか?
誰かと一緒なのか?
短期滞在なのか?
長期滞在なのか?
一度来てもらえばいいのか?
何度も来てもらいたいのか?
…
いかがでしょうか?
色々なものがありますし、そしてそれぞれ、全然違うものですよね?
自分たちにとっての「地方創生」とは何なのか?
それによって、すべき手段は当然変わって来る訳です。
まずこれを明確にする必要があると思うのです。
まとめ
「地方創生」はそもそもの目的を明確にする。
「痴呆創生」は何も考えない。
2.手段が浅薄
1でもお伝えした「目的」が不明確であれば当然、手段も雑になる訳です。
そして手段が雑であれば当然、ついてくる結果もそれに相応しいものになる訳です。
現代はインターネット技術の発展のお陰で、色々な手段があります。
例えばwebサイトや動画でPRをするといった町も出てきていますよね。
これらの手段が「良い・悪い」と言うつもりはありません。
でも、1の「目的」とリンクした「手段」でなければ、当たり前ですが「成果」にもリンクしません。
PRが当たって、その時は認知度が上がったとしても、そういう
「エンタメ的コンテンツ」
は至る所に転がっているため、すぐに忘れられ、次のものに目移りされてしまいます。
PR動画はバズって認知度は上がったけど、そこから特に何かが変わった訳ではない・・・
という事では何か意味があるのでしょうか?
(まあ一瞬でも認知度が上がればいいという事であれば問題ないのでしょうが・・・)
もちろん、認知度の向上を目指す事が問題だと言っている訳ではありません。
それが「目的」と繋がっているのかどうか、それが問題なのです。
「目的」と「手段」がきちんとつながり、そして成果に繋がった実例をお伝えしましょう。
2015年のW杯で奇跡を起こしたラグビー日本代表。
HCのエディー・ジョーンズさんは、合宿に「世界のTK」、「格闘技界の賢者」こと格闘家の高阪剛さんをコーチとして招いています。
高阪さんは世界的な格闘家ではありますが、ラグビーに関しては素人。
(実際にコーチの話が来た時は、ラグビーが何人でやるスポーツなのかすら知らなかったそうです)
そういう人が日本代表という、この国最高のチームでコーチをする。
疑問を感じる人もいるでしょう。
でも、ラグビーと格闘技には、タックル技術や身体操作、闘争心や恐怖をコントロールする精神力のように、少なくない共通点があります。
そして高阪さんは、180cmというヘビー級の格闘家としては決して恵まれてはいない体格で、世界の屈強な大男たちと渡り歩いてきた猛者。
体格に劣る日本代表がどうやって世界と渡り合い、そして勝利を収めるか。
その事を学ぶために、高阪さんは格好の教師でした。
そして実際に、体格で大きな差があるスプリングボクス(南アフリカ代表)に勝利した。
「日本ラグビーの歴史を変える」という「目的」を達成したあの瞬間には、高阪さんの教えという「手段」がひとつの要因として存在していたのです。
もう一度言いますが、動画やwebサイトによるPRといった
「手段」
が間違っている訳ではありません。
問題なのは、その「手段」が「目的」とリンクしているのか。
そこを考える必要があると思うのです。
まとめ
「地方創生」は1に合った手段を明確にし、それを順番に実行する
「痴呆創生は」1を考えず、動画やwebサイトのような表面的なものに飛びつく
3.ひとりよがり
地方創生とは、その土地、その町を、何かしらの目的に合った、何かしらの手段で豊かにしていくもの
そう僕は考えています。
であれば、それに取り組む際には、できる限り町全体を巻き込むべきだというのが僕の意見です。
町の一部でしかない役所の、その中のさらに一部でしかない一部署の、さらに一部でしかない担当者の人だけが動いていても、正直言ってポジティブな意味での変化はあまり無いでしょう。
もっとひどい場合、自分たちでは身体も頭も心も動かさず、外部の業者さんに任せてしまうというどうしようもない例もあります。
これこそ「the 痴呆創生」
残念極まりない事です。
役所や部署を否定する訳ではありません。
そうではなく、そういった役所や部署が中心となって、多くの人を巻き込む事。
そして皆で身体と頭と心を動かして、町を豊かにしていく事。
それが必要だと思うのです。
(もちろん意思決定は少人数でいいと思いますが)
実際の例を出すのであれば、長野県は小布施町。
あの町では、多くの人が共に手を取り合って町づくりをしています。
役所の方や地元企業の経営者の方、そしてその周りの町民の方・・・
実際に多くの方のお話を伺いましたが、今の小布施町は多くの人がつながり、協力し合ってできていると感じます。
だから小布施町に行っても「あれ?こんなはずじゃなかったのに」とがっかりさせられる事はそれほどありません。
でも、以前どこかの記事で書きましたが、とある花で有名なとある観光地はこれがまったくできていませんでした。
花は綺麗だったし、駅前のイベントも盛り上がっていた。
しかし、地元のお店の店員の態度や、地元の住民の方の態度が・・・正直言って観光地としては悲惨なレベル。
観光客のマナー違反は(よろしいものではないけれど)しばしば聞く話ではありますが、なぜ僕が地元民のマナー違反によって怪我(といっても擦り傷程度)をさせられないといけないのか(そして当事者達は逃亡)
いくら有名な観光地と言えど、僕はもう二度とあの町へは行かないし、友人にも勧めません。
(出身県なので尚更悲しいです)
本当に町づくりをしたいのであれば、こういうどうしようもない事にならないためにも、一部だけではダメなのです。
町全体で取り組むという覚悟が必要なのです。
まとめ
「地方創生」はできる限り町全体で取り組む。
「痴呆創生」は役所の一部の部署の一部の人だけが取り組む。もしくはそれすらしないで外部の業者に任せる。
4.おまけ
上で「ポイントは3つ」と言っておきながら、実はもうひとつあったりします(笑)
それは
「存在意義や使命感を持ち、考え続け、歩み続ける」
というもの。
この町は今、この国において、この地球において、どうあるべきなのか?
という事をほんの少しでもいいから考え、そしてそれをベースに「目的」を明確にし、それにあった「手段」をとる。
「痴呆」つまり「思考停止」にならず、考える。
一歩進んで考え、また一歩進んで考え、また一歩進む。
それを、続けていく事。
これが4つ目のポイントです。
エディージャパンは
「日本ラグビーの歴史を変える」
という使命感を持っていました。
そしてそのために「もう二度とやりたくない」と選手のほぼ全員に言わしめた(笑)ハードトレーニングを約3年積み重ねてきました。
小布施町は
「過去の歴史で培ってきた“人をもてなす”という文化を守り、発展させていく」
という使命感を持っています。
そのために様々な事を考え、色々な活動を積み重ねて今のような観光名所になった訳ですが、そこに至るまで10年ではきかないほどの年月がかかっているそうです。
あなたの町にも、何かがあるはずです。
人を喜ばせ、豊かにできる何かがあるはずです。
是非それに、目を向けてほしい。
そして、それを磨き続け、伝え続けていってほしい。
あなたの町の素晴らしさを、是非見せつけてやってください。
応援しています。
阿部 龍太
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