つい先日の事。
とある方のトークイベントに参加して参りました。
この方。
ヴィヴィアン佐藤さん。
Drag Queenであり、美術家であり、文筆家であり、非建築家であり、町おこしアドバイザーでもあり、タレントでもある。
非常に多彩な方です。
個人的にちょっと好きだったのが
「私、D級建築士なんです。Drag Queenで一級建築士の資格持ってるから、DQ建築士(笑)」
という自己紹介トーク。
デーモン閣下(聖飢魔II)がDKだから、もしかして悪魔的親戚の方なのかな?とか思ったりして(笑)
ちなみに「Drag(ドラァグ:引きずる、引っ張る)」であり「Drug(ドラッグ:薬品、薬物)」ではありませんのでご注意を。
まあ正直言って、目が引き付けられる訳ですよ。
Drag Queenという存在を人生で初めて目の当たりにする訳ですし。
でも、少し時間が経つと、心が惹き付けられるんです。
ヴィヴィアン佐藤さんという存在、中身が非常に興味深い方なのですよ。
ダヴィンチやベラスケス、聞いた事のない画家や写真家の作品からファッションや性について考えたり、ある本を読んで、それについてのアート作品を創ったりと、非常に深い教養のある方でした。
今回の話のテーマも
「非建築」という考え方
というもので「建築」とは何なのか、「建物」とどう違うのか、という事を話していただきました。
建築についてはまったくの門外漢の僕ですが、彼の哲学的な思考に関しては非常に共感できる点があり、とても愉しい時間を過ごさせていただきました。
言葉遣いも想像以上に丁寧(敬語が上手という事ではなくて、言葉の選択が丁寧という事です)で、そんな様子を見ていると非常に色々な知識を持ち、同時にそれを智慧に昇華させる深い教養のある方なんだなと感じました。
久しぶりに心から愉しいと感じたイベントでした。
あと10時間くらい聴いていたかったくらい(笑)
そんな彼の話の中で、最も興味深かった事。
それは、とある町の町おこしの話です。
Drag Queen × 町おこし
ある日、青森のとある町から町おこしの依頼を受けたそうです。
ヴィヴィアンさんが企画されたのは
子供をDrag Queenにして写真撮影をしよう!
というもの。
名付けて
「DRAG QUEEN KIDS PROJECT」
写真をいくつか見せていただけたのですが、これがもう本当に…
綺麗。
ヴィヴィアンさんのメイクや服、そして写真家の方が素晴らしいという点を除いてもモデルさん達の表情が、本当に綺麗。
ただ単に顔が美形だとかスタイルがいいとか、そういう意味ではない。
そうではないのですが、綺麗なんです。
何が綺麗なんだろう?と思っていたら、プロジェクトについてのヴィヴィアンさんの説明で納得がいきました。
なぜ、青森の町でこのようなイベントを開催したのか?
そこにはこんな背景があったのだそうです。
(一所懸命メモとったのですが、詳細はちょいちょいあやふやです。間違いがあれば指摘してください)
青森県のとある町。
一時期は賑わいを見せていたそうですが、震災後は寂れる一方。
シャッター通りどころか、更地が増えつつある町並み。
それに比例して町の人達も元気を失くしつつある。
そんな中、ヴィヴィアンさんは彼らの内なるエネルギーを表現しようとこのイベントを企画されたのだそうです。
人と違っていてもいい。
自分自身の内にある素晴らしさをもっと感じてほしい。
そんな想いで、地元の子供たちにメイクをし、服を着せ、ヘッドドレスを着けて、写真を撮ったのだそうです。
撮影中のエピソードをひとつ教えていただいたのですが、それこそがタイトルにもなっている
「本当の地方創生・本当の町おこし」とはこういう事だ。
と強く感じたポイントです。
地方「創生」は何を創るの?町「おこし」は何を興すの?
お孫さんがDrag Queenになって撮影されている姿を見ていたあるお祖父さんが突然、涙を流されたそうです。
そのお爺さんご自身も、これまでの人生の中で、他者との違いや自分自身の内面について悩んだりしてきたのだそうな。
お爺さんが彼の人生の中で感じていたもの
撮影風景を見ていて、それが自分の孫に継承されている事が分かった。
それが嬉しくて、涙を流されたのだそうです。
上でもお伝えしましたが、僕はこれこそが
「本当の地方創生・本当の町おこし」
というものだと考えます。
地方「創生」が何を「創生」するのか?
町「おこし」が何を「興す」のか?
個人的にその根幹は
その町に住む人達の「エネルギー」、ある種の「魂の力」を高める事
ではないかと思うのです。
V・フランクルの「ロゴセラピー」が、相手の生命エネルギーの源である「ロゴス」を呼び覚ますものであるように、地方創生や町おこしも、住む人の心、彼らのエネルギーを高めるものであるべきだと僕は考えます。
もちろん、観光名所や箱モノを作ったり、イベントを企画したり、特産品を販売したりするのが悪いという訳ではありません。
ただ、いくらそういった「外面的な」施策を施したとしても、住民の方々の気持ちが高まる、つまり自分自身や周りの人を信じられたり、喜びを感じられるような「内面的な」変化がなければ、仮に何かを作ったとしても、一過性のもので終わってしまうのではないでしょうか?
そんなものに、何の意味があるのでしょうか?
そういう内面的変化が無いのはただの「ビジネス」であり、地方創生や町おこしとは似て非なるものだと思うのです(ビジネスが悪いと言っている訳ではありませんよ念のため)
外面と内面、物質と心。
例えば、非常に有名な事例で
というものがありますが、これなどはまさにこの外面・内面がしっかりデザインされたプロジェクトだと僕は考えています。
震災で大きなダメージを受けた気仙沼。
その住民の方が創ったセーターが、1着15万円で飛ぶように売れた。
…と言うとビジネスとしての成功が目につきがちですが、このプロジェクトはビジネスとしての「外面的な成功」だけではなく、
震災で傷ついた住民の方々の心の、魂の、喜び。
という「内面的な変化」をも実現させられた。
この双方を両立させた事が非常に秀逸だと個人的には感じるのです。
そして、ヴィヴィアンさんが企画された
「DRAG QUEEN KIDS PROJECT」
も、これに近いものがあると感じています。
孫の姿を見て涙したお爺さんのように、自分自身を受け容れ、自分自身の素晴らしさに気付けたという人がいるというのは本当に凄い事です。
そして、こういった内面的変化だけではなく、撮影したものを写真集にして発表するというビジネスプロジェクトも進んでいるそうです。
綺麗なDQ Kids達の写真だけではなく、ヴィヴィアンさんが企画するのですからそれ以上のものになる事は恐らく間違いないでしょう。
(ヴィヴィアンさん、勝手にハードル上げてゴメンナサイ)
少なくとも僕は買う気満々ですし、僕のような人は少なからずおられるでしょう。
「DRAG QUEEN KIDS PROJECT」
の今後が楽しみでなりません。
心の師の言葉に思う。
僕の(勝手な)心の師の言葉で
魂と肉体を鍛えようとしない仕事は引き受けたくない。
そんな仕事は中身のない豆の価値すらない。
(イビチャ・オシム)
というものがあります。
しかし現実世界には、そういう「中身のない豆以下」のものが少なくありません。
最近世間を賑わしている某大学や某アイドルの醜聞を始め、多くの企業やマスコミや政治屋さんたちの醜聞などはまさにこの「中身のない豆以下」のものだと個人的には考えます。
彼らを反面教師として、どうせやるならば肉体も、魂も、どちらも成長させたい。
商売で言うならば、
・きちんと売上を上げる事
・自分の心が喜ぶ事
双方を実現する。
その方が絶対に人生が充実すると思うのですが、いかがでしょうか?
少なくとも僕はこの先一生、そういう人を応援していきます。
あなたがそういう人だったら、嬉しいです。
最後に、ヴィヴィアンさん、運営してくださったboy Tokyoの皆さん、愉しい時と場を、本当にありがとうございました。
阿部 龍太
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