今、あなたが感じている苦しさや辛さの本当の原因 〜強制収容所より愛をこめて〜

「ライフデザイン」科

【ご注意】

今日の話は結構、いや、人によってはかなり厳しい内容になるかもしれません。

逆に、人によっては大きなチャンスを得られる内容とも言えます。

ですので自分を変えたいという気持ちの無い方(そんな方はそもそもこのサイトを訪れたりしないでしょうけど)はこのページには立ち入らない事をお勧めします。

 

大丈夫でしょうか?

 

では始めましょう。

 

 

あなたの苦しみの本当の原因

結論から言います。

 

今、あなたが感じている苦しみや辛さ。

その本当の原因。

それは

・・・

 

自作自演

 

です。

 

自作自演。

じさくじえん。

jisakujien

・・・

 

辞書で調べると

 

自分が作った台本や楽曲を、自分自身で演じたり演奏したりすること。

goo辞書より抜粋)

 

とあります。

 

もう言っちゃいますね。

 

あなたの苦しみや辛さの本当の原因は「あなた自身」です。

 

その苦しみや辛さは「あなた自身が作ったもの」です。

 

ただ、ひとつ注意していただきたい点があります。

それは

 

その「苦しみ」の原因となった

 

「出来事」

 

は「あなた自身が作ったもの」とは言えない。

 

という事です。

 

あ、ちなみに潜在意識とか引き寄せの法則とか、前世のカルマというような形而上的な話は、間違っているとは言いませんがここでは論じません。

そういう超常的なものではなく、あくまでもこの「現実(日常)」という観点で今回は話を進めていきます(超常的な話もいつかしますね)

 

さてこの「自作自演」という話を、サラリーマン時代にパワハラ上司に苦しめられた僕自身を例にして説明すると

 

まず

「パワハラ上司に出会った事」

は「僕自身が作った事」とは言えません。

 

彼と僕が同じ事務所に配属されたのは、人事部や管理職といった、上の方々の決定です。

僕が決めた事ではありません。

 

でも

 

「(パワハラ上司に出会って)苦しい思いをした事」

これは僕の自作自演です。

 

例えば

 

1.パワハラ上司の暴挙によって、仕事でトラブルが起こる。

2.それに対して阿部がトラブル対処をする事になる。

3.お客様に怒られる。

4.現場の職員の方に怒られる。

5.業者さんに怒られる。

6.他の社員の方に迷惑をかける

7.阿部、嫌な気分になる。

 

彼の「パワハラ劇場」のあらすじをざっくり説明しますとこのような流れになるのですが、ここで出ている7は、僕が勝手に決めて、勝手に作ったものです。

 

パワハラ上司が「おい阿部、嫌な気分になれ!」という指示を出した訳ではありません。

僕が勝手に、嫌な気分になっています。

 

例えばここで

 

7.阿部、嫌な気分になる。

 

ではなく

 

7.阿部、現場改革に取り組む気持ちを固める。

 

とか

 

7.阿部、迷惑をかけた人にお詫びと感謝の気持ちを感じる。

 

とか

 

7.阿部、とりあえず飯を食う。豪勢に鮨を食う。

 

とかでもいいはずなのに、その時の僕は

 

7.阿部、嫌な気分になる。

 

を選択した訳です。

 

パワハラ上司が僕の嫌な気分を作ったのではありません。

僕の嫌な気分は僕が作ったもの。

僕の「自作自演」だったという訳です。

 

 

人間は悪魔か?それとも天使か?

まあ、僕の事例だけでは心もとない部分もあると思いますので、別の事例を紹介します。

 

V・フランクル

 

オーストリア出身の精神科医であった彼は、ユダヤ人と言う理由でナチスに拉致され、強制収容所に送られました。

そこで彼は、人生を揺るがされる経験をする事になりました。

 

詳しくは彼の著書『夜と霧』を読んでいただきたいのですが、それこそ人間の生命や尊厳を失ってしまうような経験です。

 

粗末な食事。

劣悪な環境。

過酷な労働。

体力の限界で倒れ、命を落とす人が絶えない。

 

そんな状況の中、彼はある事に気付きました。

 

死んでしまった人から衣服や毛布や食事を奪う人

死にそうな人に自分の毛布や食事を与える人

 

このふたつのタイプの人が存在するという事に。

 

同じユダヤ人。

同じ強制収容所の囚人。

同じように苦しめられている者同士。

 

なのにある人は死んだ人から奪い、またある人は自分も苦しいのに相手に与える。

 

何が違うのか?

違っていたのは、

 

彼らが「選択した事」

 

でした。

 

彼らが何を選択したのか。

つまり、彼らが何を「自作自演」したのか。

 

そこに違いがあった、という事なのです。

 

 

最高の舞台を「自作自演」しよう

人生、色々な出来事がやってきます。

誰と出会い、どんな出来事が起こるのか。

それを完璧にコントロールする事は、正直難しいでしょう。

 

生まれた場所とか、性別とか、親とか、身長や顔の作りといった身体的特徴とか、どう考えてもあなたが決めたものとは言えないものもあります。

 

フランクルの例で言えば、彼がユダヤ人として生まれてきたのは彼が決めた事ではありません。

(ただ、亡命するチャンスがあったのに、それを捨てたのは彼自身の決断なのですが・・・)

 

でも、その「出来事」によって、自分が何を感じ、どう考え、どのような行動を取るのか。

それはコントロールする事が可能です。

自分自身に関しては「自作自演」なのだから。

 

同じく、フランクルの経験を思い出してください。

同じ過酷な状況で、同じ苦しみを感じていながら、奪う人と与える人に分かれた。

 

「奪う」という「自作自演」

「与える」という「自作自演」

 

内容は違えど、どちらも同じ「自作自演」です。

 

どんな出来事の、誰の影響であったとしても。

今、あなたが感じ、考え、行動に移す事。

全てがあなたの「自作自演」です。

 

ならば、自分を苦しめる「自作自演」ではなく、自分を楽しませる「自作自演」をしてみてはいかがでしょうか。

・・・というのが、僕があなたに伝えたい事です。

 

あなたの人生という舞台

それを「最悪のストーリー」に仕上げるか。

それとも「最高のストーリー」に仕上げるか。

それはあなたにしか決められない事なのです。

 

 

最高の「自作自演」の第一歩

とは言え、人間は「一時の感情」に流されやすいという特徴を持っています。

そこで怒りや哀しみと言った感情に流されると、自分を苦しめる「残念な自作自演」に陥ってしまいます。

 

そういった「残念な自作自演」ではなく、自分を喜ばせる「最高の自作自演」にするために、その第一歩としてお勧めしたいのは

 

「舞台のシナリオを決めておく」

 

という事。

 

どのような人生のシナリオを作るのか。

どのような人生を送るのか。

 

悲劇にするのか、喜劇にするのか、感動巨編にするのか、シナリオを予め決めておく、という事です。

 

別に10年後のビジョンを作れと言っている訳ではありません。

(もちろん作っても構いません)

 

今年1年でも、今日1日だけでもいい。

それこそ、ここ10分だけでもいい。

 

自分がどんなキャラクターとして、どんな人生を送るのか。

それを決める。

 

最高のストーリーを演じるために、何が必要なのか。

それを少しでも明確にし、少しでも実践する。

 

それが「最高の自作自演」のための第一歩です。

 

もしよければ、一度考えてみてください。

あなたが、あなたの人生を「最高の舞台」にできますように。

 

 

阿部 龍太

 

 

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